2015年10月16日金曜日

「街のクラブチーム」から「全国区のクラブチーム」を目指して

私が指導者になったのは30歳からである。その時は現役を引退して、永年お世話になってきた社会人主体のクラブチームでコーチングを始めた。ある意味“指導”とは何かもわからずにスタートをした記憶がある。ただ今も昔も変わらず、「サッカーにはまじめに取り組みなさい」と言い続けてきた。今もその“まじめ”の奥深さを追及しているとともに、どうしたら吸収率の高い選手を育てられるかという永遠のテーマに挑んでいる。

その後、恩師が運営していた名古屋GJというチーム(後に名古屋フットボールクラブの母体となる)の小学5年生(後の名古屋フットボールクラブ・ジュニアユース1期生の中心)を担当させてもらうようになった。
いろいろな意味で個性あふれた選手が多く、その選手たちが6年生の時に愛知県代表で読売の全国大会に出場したのが、指導者へのめりこむきっかけになったように思う。

読売の全国大会に出場した中心選手3名が名古屋グランパスのジュニアユースに入団したが、それ以外の選手に関しては、当時キャプテンであった選手の親御さんが中心となり、独自のジュニアユースチーム創設の流れになっていった。その流れの中、監督を引き受けることになって名古屋フットボールクラブの創設となった。
運が良いことに、個性あふれる選手が多かったことや、全国の舞台で悔しい思いをした選手がほとんどということもあり、上を目指すにはもってこいのスタートとなったように記憶している。

この年代はJリーグができ、小学生達がJリーガーを夢見てサッカーを始めた選手ばかりである。しかしながら、この夢をみさせつつ、夢を成就させるには相当に厳しい現実を理解させ、努力させ続けることなど、先に書いたことをしっかり身につけた上で次のカテゴリー、すなわち高校へ送る責任を感じつつスタートさせた。

名古屋フットボールクラブを本格的にスタートしてからは、とにかく強豪チームに頭を下げて武者修行を続けた。3年後には高円宮杯の愛知県大会で優勝し、その後愛知県チャンピオンを3年連続(1期生から3期生)獲得することになる。

1期生が高円宮杯東海大会も勝ち抜き全国大会3位、優勝・清水エスパルス、準優勝・読売ヴェルディ、3位・ジュビロ磐田と名古屋フットボールクラブという成績を収め、“街クラブの頂点”に立った時が、“街のクラブチーム”から脱却し“全国区のクラブチーム”を目指すという方向性が見えた瞬間である。

 “全国区のクラブチーム”となるためには何が重要かを考えた時、ベースとならなければならないのは、やはり“まじめさ”であると感じた。

チームカラーとして“あいさつ”“身だしなみ”を厳しく指導、また、今でこそ当たり前だが、移動用のジャージ・シューズ・バッグを揃えて(あえて費用をかけて)“規律”を重んじてチームの大切さを強調、さらには私生活・学校生活・勉学についてもかなり厳しく指導をした。

当時は、若い指導者がJリーグクラブの下部組織を指導していることが多い中、オンザピッチだけでなくオフザピッチにおいて、それなりの存在感を示すことができていたことが、後々の全国の高校サッカー界とのパイプ作りに繋がっていったと実感している。

小崎 峰利

2015年10月9日金曜日

中学年代はあせることなく、次の高校年代へつなげることが使命

高校年代での活躍に向けて、目に見える技術のレベルアップはどのチームでもやろうと思えばやれる。しかしながら、私が重要視していることは、サッカーに対する“取り組み方”“考え方”“対応力”の3点である。

これらについては、経験上ご家庭では行き届かない可能性が高い。

サッカーに対する想いは皆同じであっても、個々の性格や生活環境などが違うなか、取り組み方や我慢の程度はそれぞれ違う。
近代では“ほめることが重要”とよく言われるが、果たしてほめることだけで良いだろうか?我慢の程度や言われることへのアレルギーはそれぞれ違う。

親から言われるうっとうしさ。好感を持てない先生から言われることへの拒絶反応。それらをすべて飲み込ませること、また、飲み込む前にしっかり咀嚼(噛む)させること。
これらを根気よく言い聞かせることで、コツコツやることの重要さを学ばせることが大切。

難しいことや大変なことに黙々と取り組む選手は必ずいる。

「発育段階でのスナック菓子やカップラーメンは身体に良くない」と言えば大学まで食べない選手。

「最近のサッカーシューズは高価なので、せめてお年玉をためて買いなさい、できるなら新聞配達を走りながらして買ってみなさい」と言ったら、本当に新聞配達を始めた選手もいた。

「風呂を出て必ず股関節のストレッチをすれば、身体は6ヶ月で柔らかくなる」と言ったら、みるみるうちに柔らかくなった選手もいた。

指導者は、時にできそうにもない理想を選手に突きつけるのだが、私が預かる年代は得てして純粋無垢な選手が多いので、果敢にチャレンジする選手も少なからず存在する。
一人でもチャレンジする選手がいれば、いい加減なことは言えない。こちらも真剣に向き合う。場合によっては、親御さんと連携を取り、子供へのアプローチの仕方までアドバイスをさせてもらい、また、私もあらゆる角度から選手にアプローチし、様々な演出も行いながら潜在能力を目一杯引き出すことを目指している。

高校の監督も必ず性格やチーム作りの考え方が違う。
叱り方や檄の飛ばし方も違う。理不尽なことも多々あるのが現実である。

全国の高校について、私が知っている実態を具体的に話すことにより、選手は高校へ進学してから「なるほど、これが小崎監督の言っていたことか」と納得しやすくなり、ストレスを感じることが少なくなるはずである。

選手とは高校へ進学した後もコミュニケーションを取り続けるようにしている。特に県外の高校へ送り出した選手には定期報告をさせている。アドバイスもできるし、選手も名古屋フットボールクラブの存在を常に意識してくれる。

サッカーに対する“取り組み方”“考え方”“対応力”においてのベースがあってこそ、どんなレベル(サッカーの)の高校に行っても迷うことなくやっていける大きなアドバンテージかと考える。

次の年代へつなげるために「頭の中」を改善させていくことが最も重要である。

小崎 峰利

2015年9月30日水曜日

名古屋フットボールクラブの原点 ~ネルソン吉村氏のひと言~


ゴールデンエイジという言葉があるように、この年代で体が完成されている選手は一人もいない。ジュニア(小学年代)を4年ほど指導していたときに、現在もそういう傾向があるかと思うが、身体能力を優先させるサッカーが主流だったように覚えている。

そのジュニア選手達といっしょに17名でジュニアユース(中学年代)を立ち上げ、1年間は2学年上と戦い、翌年も1学年上と戦い、特に最初の頃はテクニックがパワーに消されるという歯がゆさがあり、それは今でも忘れない。
ボールを奪われない為にはどうしたら良いかという想いで、1年生だけの夏休みからとにかく基本にこだわった。我がチームにもご他聞に漏れず、身体能力の高い選手も少数ながらいたが、身体も小さく、スピードの無い選手もいた。
様々な能力の選手が混在する中で共通して身につけさせることが出来るのは、個人の基本技術であり、個人の基本戦術であると感じながら指導を続ける毎日であった。
ステップワークを含む足さばきとボールさばき、観ることなど視野の広さに加え、最も重点的に取り組んだことはキックの精度を上げることであった。

その年、忘れもしない出会いがあった。
今は無きネルソン吉村氏(日本リーグ時代のヤンマーディーゼルで釜本邦茂氏らとともに黄金期を支えたブラジル人帰化第1号の選手)と懇意になり、サッカーについて話をする機会を得た。ネルソン吉村氏から「Jリーグが始まって日本人は運ぶ技術はかなり上手くなったけど、蹴る技術は僕が日本に来た30年前とあまり変わっていないと思う。サッカーはキックの技術が一番大切なのに・・・」と言われ愕然とした。

それは、自分の指導方針が“感じながら”から“確信して”に変わった瞬間であり、今に至っても全くブレることはない。

それからというもの、明けても暮れてもインサイドキック、インステップキックを練習し、脚の角度、膝の角度、身体の向きなどキック精度を上げるためにかなりの時間を注ぎ、キックは格段に上達した。しかし、身体が小さく、スピードが遅い選手がインサイドキックで相手によく引っかかる場面を見て、アウトインステップを思いつき、徹底してアウトインステップを練習した。この効果はてきめんであり、インサイドキックは身体の向きで予測され易く引っかかることが多いが、アウトインステップでさばくことにより、引っかかる回数が極端に減ってきた。

ここが名古屋フットボールクラブの原点である。

その後すべてワン・ツー・スリーのリズムをワン・ツーに短縮するパスワークを徹底したことにより、ヘッドダウンが減り、視野の広さにつながり、ボールを奪われる回数が減ってきた。ボールがつながれば、判断の早さも要求され、必然的に状況判断せざるを得ない回数が増えるため、経験値が上がっていく。

ところが、それでも勝てるという保証が無いのがサッカー。勝てるかどうかはわからない。ただ、このベースにいくつものスパイスを混ぜれば勝てる確立はかなり高くなるというノウハウはある。これは内緒だが・・・

小崎 峰利

2015年9月1日火曜日

改めて「育成」について考える ~最近考えること~


名古屋フットボールクラブは、毎学期通知表を提出させる。総合評価の高い選手や低い選手がいる中で、いろいろな観点から分析をする。遅刻、欠席の有無、各学科の細かい項目の評価、教師の所見、課外活動の内容と評価など。

気になることが一つ。数字で表されることは良くわかるが、総合評価が低い選手に対する教師の評価コメントに悪いことは記載されていない。おかしなことである。私が見る限り、評価の低い選手は何らかの問題があるのは事実である。毎日見ていて良いことばかり書いている。必ずやポイントがあるはず。それが見えてこない。

私はいつも感じる。数年来言ってきた事であるが、選手の集中力、勉強やサッカー、教師や指導者の言うことをまったく聞いていない選手が結構いる事に気がつく。まずここに気がつかなければ、その子供の全てを伸ばすことには限界がある。
サッカーにおいては、身体能力やサッカーに関するセンス、持って生まれたボディバランス、スピードやフィジカルなど、小さなときからこれらを持っていたとしても、先に書いた聞くことや、聞いたことを頭に留め置き、実行することが出来て初めて伸ばすことが出来る。

グラウンドに出て同じ時間を過ごすにも関わらず、伸びの低い選手がいる。これは聞いてきたことを考えず、今まで通り行ってきたことを反射的に行ってしまう癖がついてしまっているからである。勉強にしても、評価の低い選手は「勉強をやらないからだ」と決め付ける保護者も多く居る。勉強机に息子が座っていれば安心する。塾へ行っていればほっとする。当たり前であるが、サッカーにおいても同じ現象である。グラウンドに出ているが、ただがむしゃらにやっているだけ。そのがむしゃらの、その頑張りにも個人差がある。

最近は、指導者が、教師が一人ひとりの分析をあまりしていないんではないかと思ってしまう。我がチームの指導者には、とにかくまず選手の分析をさせ、どのようなアドバイスが良いのか、またどのようにしたら頭が働くのか、どのようにしたら話を聞くことが出来るのかを常に観察とコミュニケーション、声掛けをさせている。最優先は意識をさせることである。

こういう選手がいる。話を聞くときは、話をする人の目を見て聞きなさい。昔からよく言われてきたことである。ただ、目を見ることに集中して話の中身をまったく聞いていない選手がいることも事実である。我がチームは全てのことに共通するであろう、意識付けに心血を注いでいる。

サッカーにおいてのことを一つ。
先に書いた能力の高い選手にありがちな感覚でサッカーをするということについて、少し気になることがある。たまにトレセンの活動やハイレベルの試合を見に行くことがあるが、選手の動きや戦術論が全てのように感じる。個人に特化したコメント、例えば足の使い方、ターンの仕方、体の向きに関してはよくコメントを聞くが、どちらの足でボールを奪いに行くかとか、体のぶつけ方などの個人技術や個人戦術に関しては少ないと感じざるを得ない。この育成年代は個人のレベルアップ、特に「蹴る」「運ぶ」「止める」はもちろんのこと、「観ること」や「相手との駆け引き」「足の使い方」もう一つは「シュートを含むキックのレベルアップ」など個人にもっとフォーカスして欲しいと感じている。

最近は能力の高い子供がサッカーに関わる時代から、すべての子供がサッカーに関わることができる時代に突入してきている。同じ年代でも、また、どのような資質を持った選手にでも対応できる指導者を目指さなくてはいけない。

私は長年にわたり育成年代を見てきている。その中で様々なレベルの選手に対応してきた。そのノウハウを駆使して、今後も育成年代の指導者のスペシャリストを目指すと共に、このような対応力を備えた指導者を育てることにも心血を注ぎたい。

日の丸から世界に羽ばたく選手を目指し、また人を思いやれる選手、常にチームのことを考えられる選手、キャプテンシーを持った選手。どのようなチームにも欠かせないキャラクターの選手を数多く輩出したいと考えている。

小崎 峰利

2015年1月8日木曜日

改めて「育成」について考える ~将来ある少年達を裏切らないために~

この時期、小学生の試合を観る機会が増えてくる。8人制のサッカーに戸惑いながらも全体を観てみる。小学生のサッカーが8人制になるとき、選手がボールに関わる機会が増えるということがうたい文句だったと記憶している。
しかしながら、勝敗を決めなくてはいけない大会になると(すべての試合が勝負であることには間違いない事実ではあるが・・・)FWに足の速い選手がいて、奪ったらカウンターという図式が圧倒的に多く、組み立てることへのリスク回避が感じられる。ボールに関わる機会が増えるどころか、確実に3人はベンチに下がり、一度もボールに触る機会がなくなるのはどうかと思う。

それよりも、個人の技術に関して感じることがある。我々の優先順位は「止める」「観る」「運ぶ」「蹴る」であると考えている。ただ、最近のサッカーにおいてはスピードを求められ、身体のスピードではなく判断のスピードを早くしなさいと指導者は言う。
我々のカテゴリー、すなわち小学校高学年から中学校3年生までの選手は、明らかに物理的なスピードの高低差が多分にあるなかで、早い判断をしたとしても身体のスピードが遅い選手も多い。

最近はサッカーというスポーツがメジャーになるにつけ、多くの少年がサッカーに親しむようになった。海外サッカーを手軽に観ることができ、Jリーグが発足して早くも20年という月日が経つ。我々が小学生時代の公園では、キャッチボールをしている少年しかいなかったが、近年は家の中で音楽や読書にいそしみ、スポーツとはあまり縁のない運動能力の低い少年も、サッカーというスポーツに興味を持ってボールリフティングを始めるようになる。

一生懸命リフティングをすると、必ず上達をする。1回が10回、50回、100回、1000回と伸びていく。運動能力が低い子供も、高い子供も皆リフティングはできるようになる。その子供たちが小学高学年になり試合を始めると、足の速い子供は速いし、身体の大きい子供は大きいし、少しバランスの悪い子供はすぐにバランスは改善されないし、走り方や歩き方がぎこちない子供はどこまでいってもぎこちない現実がある。しかしながら、子供たちは一生懸命サッカーが上手くなりたいと努力をする。

我々指導者はこのカテゴリーの選手に対して、個人のボール技術、足の出し方・運び方、一昔前は体の向きをしっかり考えなさいと指導してきたが、最近は早い判断というフレーズが多く聞かれる。将来身体のスピードや強さの差がなくなってきたときに脚光を浴びる個人技術及び個人戦術を習得させることが、今まさに疎かになっていると感じてしまうのは、私だけであろうか。

我が名古屋FC出身の選手が高校以後全国レベルでも活躍している事実は、前回書いたように今出来ることをいかに真剣に取り組ませるかという「意識付け」をベースとし、身体のスピードが遅い選手でも、「止める」「ステップをする」「蹴る」という1,2,3のリズムにおいて、ステップをなくした「止める」「蹴る」という1,2のリズムを習得させることを継続的に指導してきたことが要因の一つであると考えている。
この理論は、長年多くの子供たちをみてきて、「今」ではなく、「将来」を見据えたときに避けては通れない現実だと感じたことが、これまでの名古屋FCの指導方針となっている。

このような観点で小学生の試合を観ていると、ボールを持っている選手に足を出してボールを奪いに行く技術は哀れとしか言いようがなく、また、身体のスピードが遅い選手が良い判断をしても、遅いがゆえに相手の選手の足に当ってしまったり、ステップを踏んでしまったゆえに、足の速い相手にインターセプトされてしまったりという光景がいかにたくさんあるか・・・。

小学生の指導者のコーチングを聞いていると、「何でそこに走らないんだ!」「そこでワンツーをやったらどうだった?」とか「ラインを上げたらどうだ?」とかはよく耳にする。個人のことでは、「身体の向きは?」くらいは聞こえることはたまにはあるが、ボールの持ち方や足の出し方、ボールの受け方、ボールの運び方、どちらの足でボールを運び始めたら有利であるとか、ステップの仕方(足の運び方)を試合中にコーチングしているチームはほとんど見受けられない。組織や戦術に関することにウエートが多く傾いている感じがする。
これでは、将来身体が大人に近くなってきたときに何ともならないし、もともと運動能力や身体能力に恵まれていた選手でさえ、高校生ぐらいになると埋もれていく選手が多いと思われて残念になってくる。

名古屋FC出身のプロ選手は、引退した選手も含めて9名に上る。フットサルを含めると11名にもなる。これら選手たちよりも身体能力が高い選手は多く在籍していたし、「この選手は本当に上手いな」という選手もいたが、この11名に「かなりの確率でプロになる」と感じた選手が多いのは事実である。

最近、名古屋FCの大会成績は芳しくないが、現在のメンバーが必ず高校サッカーでも中心選手となり、また、何名かのプロフェッショナルも輩出できると確信している。

この育成年代はチームにおいて、「目にはみえない部分で如何に真摯にサッカーに取り組むか」という考え方を植え付け、更に勝者になるには「勝者とは何ぞや」を教え、目にみえる部分では、「身体能力に左右されない個人の技術・個人の戦術」を身に付けてあげられるかが、将来ある少年に対しての我々の義務だと考えている。
小崎 峰利

2014年10月17日金曜日

改めて「育成」について考える ~高校サッカー界で活躍するOBを観て~

名古屋フットボールクラブ創立以来17年間、ジュニアユースの選手に言い続けてきたことがあ

「キャプテンは代表として一人しかいないが、我がチームは全員がキャプテンの意識を持って行動してくれ。」「上手い選手はいくらでもいる。いい選手を目指してくれ。」このようなフレーズを日々繰り返してきた。

今夏のインターハイにおいて、某Jリーグ関係者と某高校の監督から、「今年の愛知県4強リーグは名古屋FCの選手が活躍していますね。他の高校でもけっこうたくさんの選手ががんばっていますね。びっくりしました。」という電話が入った

私は高校サッカーに大いに関心があ。しかしながら、選手には勉強のため観戦に行かせることはあっても、私が愛知県の高校サッカーを見学応援に行くことはほとんどない。どこに行ってもOBや保護者の方がいっぱいで気になってしょうがないし、出場しているOB選手の動きが気になって、純粋に高校サッカーを観戦できないからである

今回の連絡を機にチームスタッフに確認したところ、愛知県で優勝した東邦高校には、名古屋FC及び名古屋FC EAST出身の選手が5名もメンバー入りし、2トップ、ボランチの計3選手が先発出場していた。エースナンバー10番の選手も名古屋FC出身でした。東海学園高校の10番、刈谷高校の11番、中京大中京高校の9番と13番と実に計9名もの選手が4強リーグに出場していたことにな

そこで、愛知県大会に出場していた高校の状況を調べたところ、愛知高校のキャプテンで10番、名経大高蔵高校の10番、旭ヶ丘高校の6番、長久手高校のキャプテンなどなど、かなりの選手が活躍していることが確認できた。今冬の高校選手権愛知県大会も非常に楽しみである

その後、インターハイ全国大会を観てみると、先の東邦高校は初戦敗退したものの0-2のビハインドからの追撃弾をEAST出身選手が、同点弾を名古屋FC出身選手が入れ(PK戦ではずしたのも名古屋FC出身選手ではあるが・・・)、2回戦2-3で敗退した中京大中京高校の2点は名古屋FC出身選手であった。また、奈良育英高校のEAST出身選手は、まだ1年生ながら全国のピッチに立った。さらに名古屋FC出身の2年生であるが、9年ぶりに全国大会に出場した鹿児島実業高校のセンターバックとして、2回戦からほぼフルタイムでの出場を果たしている

他にも、メンバー入りこそしていないものの、名古屋FC及び名古屋FC EAST出身選手が、青森山田高校、市立船橋高校、星稜高校など全国トップクラスの実績がある高校で日々努力している。

このようなチームでの活躍を目指した10番の選手が上手い選手か、良い選手かは私には判断できないが、冒頭で書いた「全員がキャプテンであって欲しい」「良い選手になって欲しい」という私の希望が垣間見えたと勝手に思い込んでい

そういう観点で思い返せば、過去には私の記憶の中においても、県内の中京大中京高校、東邦高校、愛知高校、旭ヶ丘高校、県外においては青森山田高校のキャプテン、市立船橋高校は副キャプテン、大学においても慶応大学、中央大学、中京大学のキャプテンがいた。

一方、最近の高校生、大学生を観察すると、残念なことがたくさんあ。人は一人ではなく、グループ、組織の中で生きてい。サッカーもチームという組織であり、我々も家族という最小のグループの中で生きており、学校や会社という組織に通っていることは紛れもない事実である

このような社会の中で生きていくうえで、最低でも身につけておいて欲しい考え方があ。チーム、いわゆる組織をまとめるのに大切な言動や配慮、そして感謝や思いやり、組織力をアップさせるための原理など、ジュニアユース年代のまだまだ無垢なときに物事の道理や道徳を言い聞かせ、社会性の大切さを説明し、いかに多くの言葉を投げかけてあげるか、どれだけ大事で影響力があるかが、17年間やってきてやっと小さな形となって現れてきた実感がある

昔は(私の中ではついこの間のように感じる10数年前ですが)、「強いチームを作ること」が中心であった。それも大事な目的には違いないが、徐々に「強いチームへチャレンジし、勝ち抜いていくためにはどうすべきか」「チームや組織の中での存在感」「家族や関わってきてくれた人への感謝」など、このような人間的なことを学ぶことの重要さにシフトしてきた感じがする。その中でサッカーという競技をしっかり理解し、強いチームに行っても困ることのない技術、戦術を習得させることのほうが大事と考えるようになってきたことは間違いない

このようなチーム作りは、歳をとってきたと感じてしまうこともあが、年月を重ねながら、たくさんの育成年代を観て、たくさんの経験の中からのから感じるからだと考えるようにする

名古屋FC及び名古屋FC EASTは欲張りなチーム、すなわち少しでも多くの財産を選手に身につけさせ、高校への進路をしっかり考え、ゆくゆくは選手の将来像を考えた指導と共に、指導者と選手という垣根を越えていい相談相手になっていきたいと切に願ってい
 小崎 峰利

2012年3月12日月曜日

日本のサッカー事情と名古屋FCの考え方

現在の日本のサッカーは、2002年日韓ワールドカップを境に急激に発展してきてい。特に思う事は、今から20年前、Jリーグの発足時においては、その時点でのトップレベルの選手を集めて活動している日本フットボールリーグ(JFL)からプロ化したチームでスタートした。そのプロチームに所属する選手は、まさにその時うまい選手の集まりであった

しかし、現在は香川真司、長友佑都、本田圭佑、宮市亮、清武弘嗣など現在海外やJリーグで活躍している選手、またU-15、17、20、23など日本代表クラスで活躍している選手のほとんどが、日本や世界を視野に入れて育てられた選手であるということは間違いのない事実である

まさに世界で戦うことのできる選手を目標とし、サッカーというスポーツを理解させた上で、技術、チーム、生活習慣、マナー、モラル、などなどサッカーを通じて人間的にも成長させていかなければならない

大げさなことを言っていると思われるかもしれないが、このようなロジックで選手と付き合うことで、必ずそのレベルに行く選手が現れることになる。我が名古屋FCも、こういった哲学で選手育成をしている

少しでも早くから前述の環境に身をおくことで、サッカーに取り組む姿勢を確立することができると思ってい。ただエリート教育をするといったわけではない。小学校1年生から3年生(U-6~U-9)いわゆる低学年は,サッカーの楽しさを感じてもらうことが大きな目的である。その中で自ら考えることを覚え、実行するようになれば、年齢が上がるとともに目覚しい成長を遂げることになると思

4年生から6年生(U-10~U-12)においては低学年で身に付けた「自ら行動する」という習慣を、サッカーにおける個人技術、個人戦術の習得に重きをおきながらサッカーに取り組んでいけば、U-15年代でナショナルトレセン、日本代表も現実のこととなるであろう

しかしながら、全ての選手がそこまで成長するかというと必ずしもそうではない。自ら意志を持って、考え行動することを促す環境に選手を置くことによって、早くから自主・自立を確立することができ、努力することによって成長するという自覚ができれば、人間として成長すると思われ

また、学習についても、学校生活においても、家庭生活においても考え方は同様です。良い生活習慣を身に付けることから、サッカーの上達も望めることにな。あらゆる可能性のある選手たちに、サッカーだけではなく、どのような世界に行っても役に立つベースを授けてあげることが大事と考え

そのためには、低年齢からの環境作りを怠ってはいけない。少しでも効率的に吸収させるべく、我々は努力を惜しまない。そのためには、選手とのコミュニケーションを多く取り、サッカーは楽しいと思い、また「達成感」を感じることで、日本流でいえば「もっと頑張ろう」ということになるのではないかと思

名古屋FCは、このような方針運営していきたいと考えている。具体的なことは、グラウンド内外で伝達していくつもりである。これをお読みになったサッカー小僧の保護者の皆様や、愛知県下の指導者の皆様とともに、未来ある子供たちのために、より繊細な指導をすることによって愛知県のサッカー、日本のサッカーを盛り上げていくことが出来ればと思ってい
                小崎 峰利