2022年4月22日金曜日

五分の三感トレーニング

五感(視、聴、味、嗅、触)の中でサッカーに必要な三感、味と嗅以外のトレーニングをどのようにするか。

"触"においてはボールに触り、キックやドリブル、シュートなどなど、また相手に触りコンタクトを取ったりしてトレーニングをする。
子供の頃から、来る日も来る日もリフティングやコーンドリブルなどトレーニングをしてきた。

しかしながら、"視"(見ること)や"聴"(聞いたり話したり)などに特化したトレーニングをしてきたことは無い。
特化したトレーニングは無いかもしれないが、サッカーのトレーニングにおいては"視"と"聴"は相当必要、特に"視"(見る、観る)は自分自身で情報収集する唯一の武器。

"聴"は味方から情報収集するため、味方の話す(コーチング)技術が必要。

指導者は、五感ではなく三感を強く意識したトレーニングを取り入れていくことが必要である。
この三感を強く意識してトレーニングメニューを組み立てると、選手たちにとってはかなり楽しいトレーニングができるはず。

更に選手達自身も、三感の意識が重要であることを再認識することであろう。
小崎 峰利

2022年4月8日金曜日

高梨沙羅さん

北京オリンピックの混合ジャンプで前代未聞の事が起こった。ジャンプ競技では良くあるというスーツの規定違反。

これで5人の女子選手が失格となり、高梨沙羅さんも失格でメダルを逃した。

一連の中身が報道されると何かスッキリしない検査方法。
事前検査であれば未然に防げた。
抜き打ち検査で失格になるのも何か解せない。
検査方法も非科学的な検査で平等性にも欠けている感がする。

何かモヤモヤ感が満載。
どこかで似たようなことがある。

交通違反の取り締まりとよく似ている。
事故を起こさないために事前に警告すればいいのに、隠れてスピード違反や一旦停止を取り締まる。
事故が起きてからでは遅い。
本質は事故を起こさない、起こさせないためにが本来の目的である。

オリンピックという4年に一度の大会に向けてひたすら努力をしてきたアスリート達が、競技そのものを否定するかのような方法で失格させるという暴挙。

選手の皆さん、大会本部、競技本部に今後の検査方法の是正を唱えてほしい。

高梨沙羅さんは、個人ノーマルヒルでの失意の中、素晴らしいジャンプをしたのにもかかわらず、この仕打ちは可哀想でならない。

そんな状況下でも最高のパフォーマンスで競技を終えた日本選手たちに拍手を送りたい。
小崎 峰利

羽生結弦さん

北京オリンピックのフィギュアスケート。鍵山さんが銀メダル、宇野さんが銅メダル、ネイサンチェンさんが金メダル、ショートプログラムでの不運が響き、羽生さんは第4位と残念な結果に終わった。

しかしながら、多くの人達が彼のチャレンジを賞賛しているはず。

それもそのはず、今回のチャレンジだけではなく、長年フィギュアスケート界を牽引してきたこと、人として色々な気遣いが出来、また柔かな人柄が人々を惹きつける。
だが、今回の結果は不運なのかもしれない。

ただ、今回は「あれ?」と思うことがある。

宇野さんや鍵山さんのメダル獲得インタビューにおいて、お互いのリスペクトとネイサンチェンさんの存在がことある度に名前が出てくるが、殆どのインタビューで羽生結弦さんの名前というか、羽生さんをリスペクトする言葉が全然出てこなかったことにかなりの違和感を覚えた。
彼の存在無くして、現在の日本のフィギュアスケート界の躍進は無かったと言っても過言ではないにもかかわらず。

穿った見方かもしれないが、今回は羽生結弦さんは4回転アクセルのチャレンジを含む、個人に特化したため、団体戦にもエントリーせず、北京入りも遅らせ、全てを日本の為というより羽生結弦の集大成を最優先させた為、羽生結弦の名前が彼らの言葉に出なかったのではないかと感じてしまった。
そこがちょっと日本人として残念だった。

ネイサンチェンの存在をリスペクトした上で、羽生結弦の偉大さを日本の選手として最大限のリスペクトをしてもらいたかったのは私だけではないだろう。

羽生さんは、「努力は報われなかったな」と言っていたが、彼のアスリートとしての人生は間違いなく報われた人生だと信じて疑わない。
小崎 峰利

2022年3月3日木曜日

高校サッカー

第100回高校サッカー選手権が行われた。

コロナ禍において、高校サッカー選手権が開催された事はある意味素晴らしい

夏のインターハイでは、コロナの影響で出場を辞退せざるを得ないチームがあった事を覚えてるだろうか?
当時ルールとはいえ、とんでもない悲しい運命だったと思う。

高校サッカーは当然勝負がある。
負けて悲しむ選手を見るたびに、県の代表になって本番で勝つにしろ負けるにしろ、さあこれからという時に出場辞退をしたチームは、きっと負けるより悔しいはず。
そのような事を考えながら、100回大会を観戦した。

選手達の清々しいプレーを見ていると、高校サッカーに向かう年代を指導している身としては、どんな事にぶつかろうとも、それを受け入れなければならないこともある。
だけど一生懸命取り組む事が、清々しいプレー、終わった後の清々しさを生むという事を教えていくのも大事だとつくづく思う。

高校サッカーから学んだり、考えさせられる事は沢山ある。
高校サッカーは日本の文化である。
小崎 峰利

2022年2月18日金曜日

とにかく勉強

 指導者も常に勉強すべき。

「学ぶ事をやめたら教えることもやめなければならない」(ロジェ・ルメール) という言葉があるくらい。 

サッカーでも会社でも組織はそういうもの。
その観点からいくと、アマチュアサッカーにおいては勝利と育成および人間形成。 企業においては利益と発展、もう一つは人材育成があろう。

指導者は、学んで、我慢して、何を教えるかを相手のレベルに応じて、言葉と語彙力を駆使して対応すべし。
このような努力をして、上達の効率を良くすることができれば良い指導者であり、また良い上司という事になる。

十人十色という言葉がある。 同じ事を教えるにも伝達方法は10人に対しては10の方法があると思う。

厳しくかつ優しく。
やっぱり指導は難しいな。
小崎 峰利

2022年2月9日水曜日

ルール

コロナ禍においてアマチュアスポーツ界は難しい局面に立たされている。

全体的には、コロナに対する考え方が徐々に何となく緩くなっている。
しかし、現状は依然として楽観できないようでもある。

人間は、自分も含めて慣れてくると甘くなる性質を持っている。

スポーツを通して社会を学ばせる。
また、競技の中においては、技術など競技力向上を目指すのは当たり前
その中で色々なルールが設けられている。
サッカーでルールを守らなければ、イエローカード、レッドカードなど罰が与えられる。

例えば、熱中症に対する指針がサッカーにおいても、より具体的に示された。
その指針には、ある数値を超えたら競技を中止又は延期とする、というルールが設けられた。
これは今良く使われる言葉で、安心安全を最優先するという理由での事である。

育成年代の指導者にもかかわらず、運営面や勝負などに拘り、命という最優先させなければならない事を後回しにしようとする人がいる。

プロフェッショナルの世界においても、最優先させなければいけないのは命である。

コロナ禍においてはルールの設定が難しく、安心安全に行うという何となくファジーな中で判断を迫られている
だが、熱中症など明らかに直接的に命にかかわるルールを安易な考えで守らない大人がいる事も事実である。

ここをファジーにしてはいけない。
やはりルールは守るべき必要があるからルールなのである。
改めてルールを守る事の大切さを考えていかなければいけない。
小崎 峰利

2022年1月12日水曜日

自分の為に、人の為に

"自分の為に"という考えを強調すれば、わがままとか自分勝手とか言われる。

また、"人の為に"を強調すれば、偽善とか、そんな事無理ですよ、とか言われる。

このご時世、コロナワクチン接種でも色々意見が分かれている。
ワクチンを打つべき、いや打ちたくない。

どちらも個人の自由だ。

しかしながら、自分の為に打ちたくないという人もいる。
でも、人の為に打つべきだという人もいる。

コロナにかからないために"自分の為に"ワクチンを打つ。
コロナを移さないために"人の為に"ワクチンを打つ。

どちらも正解。

自分の為にも人の為にも必要ならば、ワクチンを打とうが、打たなかろうがどとらにも配慮できる行動をすべき。
ワクチンを自分自身の身体とか副反応の為に打たないという人は、万一に備えてコロナにかからない最高の対策をすると共に、コロナを絶対に移さないという対策及び行動を徹底させるべき。

ワクチンを打つべきだから打ちました、という人は、ワクチンを打たなければならないのではないか、と文句言う事なかれ。
ワクチンを打たないという人に対しての最大限の配慮をして、ワクチンを打ったから大丈夫という考えも禁物。
彼らのために精一杯の感染対策を実施すべき。

このように"自分の為に"と"人の為に"を同時に考える発想ができれば、ちょっとは成長するかもと思います。

"自分の為に"は"人の為に"になるはずでなければならないと考える。
小崎 峰利