2024年7月22日月曜日

勉強と経験

指導者にせよ、選手にせよ、成長したいなら勉強と経験が大事。

選手においては、勉強を多くした上で経験。
失敗の経験、成功の経験共に勉強。
勉強という言い方は堅苦しいが、監督やコーチからの一言一言をいかに吸収しようとするか、これが勉強。

この勉強を色々な場面で経験をする。
経験をして成功と失敗を繰り返す。
このようなルーティンでトレーニングとゲームを繰り返す。
特にトレーニングにおいて、どれだけたくさんの勉強をしようとするかで大きな差が生まれる。

よって指導者は、選手にどれだけ多くの勉強をさせられるか。
選手は、指導者の教えをいい形で受け止められなければ勉強した意味がない。

サッカーが上手くなりたいのに、また、サッカーを指導したいのに勉強をしない選手や指導者がいるのも事実である。
小崎 峰利

2024年6月6日木曜日

自分の市場価値?

自分自身の市場価値はどれくらいであろう?

サッカー指導者として全て生活してきたわけではないが、まがりなりにも今現在もサッカー指導者として活動させてもらっている。

教えられる選手側からしたら、どの様な価値観で教えてもらっているのだろう?

教えられる側の価値観をこの上なく高められるならば、サッカー指導者としての市場価値は少なからずあると思う。

私は民間企業で30年近く商社マンとして営業職についてきた。
その中で商品を売る仕事をしながら、その商品に付加価値を付けて売り上げを伸ばしただけではなく、様々な方達との付き合いの中で、人としての付加価値もつけてきたつもりである。
いわゆる労働の付加価値である。

自分の市場価値は、自分自身の付加価値で決まる。
サッカー指導者としての市場価値は、サッカーという商品プラス自分自身で経験をしてきた物語りや、失敗などが付加価値として市場価値を上げていくのである。

こんな言葉もあります。
「いいコーチになりたかったら、本を読みなさい。音楽を聴きなさい。絵を観なさい。」(アリゴ・サッキ)
小崎 峰利

2024年5月14日火曜日

小さな約束事

大学卒業後、会社に勤めてから長年営業職で学んだ事。
それは、小さな約束事をしっかり守る事。

これは人に学ばさせて貰ったというより、自分自身の性格として当たり前という感覚で行ってきた事である。

小さな約束事とは、例えば友人とのやり取りで「今夜電話するよ」というやり取りがあって、それを実行しないというか忘れてしまって、電話しなかったという事があったとしよう。言われた相手は、今夜電話があると思い待っていても電話が無かった。
また、仕事上でお客さんや仲間から「これちょっと調べて今度教えて」など、ともすれば大した約束事では無いともいえるが、この小さな頼まれごととか約束事を絶対に疎かにしない。
もっと厄介なのがお金。学生にありがちな話で、自販機を前にして小銭が無いので「ちょっと100円貸して」というやり取りがあって、待てど暮せど100円を返してこない。
借りた方は忘れることもある。これは最悪。忘れてはいけない。

何月何日の何時に試合があるとか、駅前で待ち合わせをするとかという約束は当たり前だが、ちょっと頼むよとか後で連絡するよとかの小さな約束事を100%守ってきたつもりである。(最近は歳のせいで忘却多しではあるが)
この大きかろうが小さかろうが、約束をしっかり守る事がどれだけ信頼関係の構築の礎になってきたか。

学生に言いたい。
サッカーも人生も一緒。
小さなパスも小さな約束事も同じ。
信頼関係を築くには、小さなことまでしっかりやることである。
小崎 峰利

2024年4月18日木曜日

有意識運動

有酸素運動という言葉はすでに定着をして、幅広い年齢層が有酸素運動をするようになった。

小中学生を中心とした育成年代の指導が長く、スキルトレーニングを多く経験してきたなかで、大学生を指導するようになってから、単純なパス、コントロールのトレーニングをやってみて最近特に思うことがある

単純なパスコンのトレーニングにもポイントをしっかり押さえて、なおかつクオリティにもこだわったりしっかりとした意識の上にトレーニングが行われてきていない現実が多くあるように思う。

確かに反復練習をさせてきたが、しっかりとした意識を持った上でやってこなかった選手のいかに多いことか。

今思えば、とにかく基本をしっかりやりましょうとかなりのくどさで指導をしてきた。
その中にも必ず精度、クオリティ、はたまた対人トレーニングにおいても、細かい指示に対して頭の中で必ず意識した上でトレーニングするようにと言ってきた。

これが「有意識運動」の意味である。
小崎 峰利

2024年3月25日月曜日

学びの心得

最近思うことがある。

サラリーマン時代、研修や先輩との同行営業などなど、学ぶことが多々あった。
振り返ってみて、研修においてはプリントを配られてよく読んでおくようにと言われ、同行営業においては先方の一言一言を出来るだけ頭に入れておくように心がけ、気がついた言葉などは手帳にメモをし、自分なりに学んできた記憶がある。

その事を前提に現在の選手を見ていると、上辺だけの情報収集で学んだ気になっていることがほとんどである
学校の授業でも、ピッチ上においてコーチが話す内容もしかり、聞いているようで聞いていない。
中身をしっかり深掘りすれば、もっと吸収力が高くなるはずである。

社会人になっても同じである。
注意力散漫な人ほど、分かっているようで分かっていない。
凡ミスはこのような事から起こる。

やはり、学びの心得をしっかりとつかんでから、前に進んでほしいと心から願う。
小崎 峰利

2024年2月27日火曜日

これぐらいでイイヤ

若い選手は「これぐらいでイイヤ」という考えで判断することも多い。

これは物事に対して厳しさを持って教えられない時代なのか、はたまた社会生活における善悪の基準が変化してきたのか。

サッカーにおいては、危険なポジションや有利なポジションを細かく指導しても「これぐらいでイイヤ」という考えでその場が過ぎていく。

その事を厳しい指導で徹底させられない場合もある。
厳しく指導して、それが自分やチームに返ってくるという理屈を頭では分かっても、徹底して自分に落とし込めない。

このような考えでサッカーもやっていくんだろうか?

このような感覚で自分の人生も生きていくんだろうか?

勿体ない。

やっぱり「これぐらいでイイヤ」は、やめておこう。
小崎 峰利

2024年2月14日水曜日

刺さるのではなく、浸透させる

最近色々な指導者のベンチワークやトレーニングにおける指導場面を見ることが多くなってきた。

昔は自分もこうだったのかな?と振り返ったり、反省したりというより、気になり出したのかなと思う。

我々指導者は、選手よりも経験が多い。
指導者のサッカー人生のレベルや、濃淡によって要求や指摘も変わってくるはず。

しかしながら、聞いているとヒステリックな口調で指摘をしたり、要求をしている場面を見ることがある。
全ての指導者が同じことを言っている訳ではないが、基本的なことに関しては同じことを指摘したり、要求する場面があると思う。
その時に、その言葉の発し方が刺さってしまう口調がどうしても気になる。

刺さってはダメ、心に浸透する口調で表現をしないと選手は落ちていくばかりである
これは、指導対象選手の年代が下に行けば行くほど顕著に出てくるので、気をつけさせたいものである。
小崎 峰利