2020年12月17日木曜日

勉強机とグラウンド

昔から言ってきた事がある。
貴方は、たぶんだけど「勉強机に向かって座っている時間が長い事で勉強をしたつもりになっている」と。

学校の授業も同じ、全員が同じ時間先生の授業を受けているのに色々な差が出てくる。

グラウンドでも同じ現象が起きている。
随分昔は一生懸命やらせてきた。しかしながら、やらせる中にも自身で考え、工夫してまた真剣に取り組み始める選手が出てくる。

中には同じ時間グラウンドにいるのに、なぜか感覚だけでトレーニングし、時間だけが過ぎていく選手もいる。
そのような選手を見たら、何故か昔を思い出した。
貴方は小さい頃から勉強机には座っていたけど、時間と中味が比例していなかったのではないか?
と。

何故かグランドでも同じ様な雰囲気を感じる。何気ないシュート練習、何気ないボール回し、何気ないゲーム。
机には座っているけど、グラウンドにはいるけど、何気に共通している。

やはり、自身の能力を最大限に活かすにはどうすべきかを追及すべきであるとつくづく思う。

小崎 峰利

2020年11月25日水曜日

技術

私もこだわってきた技術、”止める” ”蹴る” ”運ぶ”という分かりやすい技術がある。

最近大学生を観察していると、”止める” ”蹴る” ”運ぶ”という技術の優先順位は、やはり”止める” ”蹴る” ”運ぶ”だと思うようになった。

以前、”心技体”の優先順位も”心技体”だと言ってきた。”体技心”でもなければ”技体心”でも無い。”止める” ”蹴る” ”運ぶ”も、やはり”蹴る” ”運ぶ” ”止める”とかではない。

サッカーにおいては”運ぶ”から始まるシーンは殆どない。

誰かの蹴ったパスを”止める”ことから始まり、そのまま”蹴る”(パスかシュート)。
それをまた”止めて”、次は”運ぶ”。
それからまた”蹴る”。

この連鎖が続いてゴールに迫る。

このような動作をいかに厳しいとか狭い状況下で訓練するか、その中で取った取られたが繰り返される。
上手く止められなければ、次の蹴る(パス)やシュートに繋げられない。
運ぶにしてもその後の蹴る(パス)を失敗したのでは台無し。

大学生は色々な差がついた状態で入ってきており、トレーニングをしても技術力がなかなか上がらない。
まずもって厳しいシチュエーションでの”止める”技術を極め、相手のマークが厳しい状況の中でも味方に正確なパスを送る事ができ、最後にはキーパーの位置を確認しながら上下左右いかなるところにも正確なシュートを打てるように、できるだけ若い年代からトレーニングする習慣を身につけさせたい。

昔オープンスキル、クローズドスキルとよく言ったものだが、本当に試合で通用するために技術トレーニングをして欲しいものである。
小崎 峰利

2020年10月28日水曜日

やればできる

昔から、「うちの子はやればできるのにやらないんだよね」などとおっしゃる親御さんが多々いた。

随分昔のことではあるが、”やれば出来るんだ”から”やらせれば出来る”というように言って、結構無理強いをしてきた時期がある。

確かに、やらせることによってやれるようになる事の出来る選手もいる。
ただ、やらされることによってメンタルが持たない選手の方が多い事に気がつく。

やはり、自らやる事の意味と意義を理解させる事が先決。そして、やることによって選手自身が成長を確認させられる言動を大人がしてあげられれば、やる事の大切さを理解するであろうと考える。

”やればできる”という言葉は紛れもない事実ではある。
しかし、”出来る””やり切る”には、自らがやらない限り出来るようにというか、成長することには繋がらない。
勉強も、スポーツも、趣味も、遊びも共通である。

我々指導者や親は、選手の心の持ち方を最初に確立させることに注力すべきと思う。
小崎 峰利

2020年10月6日火曜日

コロナ禍のトレーニング

育成年代の指導をしていると、自己表現の乏しい選手が多い。
そういう選手に対しては、まず大きな声で挨拶をするようにと促すところから始まる。
トレーニングでも、コーチングを含めチームを鼓舞する声などなどの「声を出して意思疎通を図りなさい」と教えてきた。

現在は、コロナの影響で三密を避けるという事が新しい生活様式の定番である。サッカーのトレーニングにおいても密を避ける為に、集合時はかなり気を使う。

私の経験からすると、「大きな声で挨拶しなさいよ」「気がついた事はプレー中にコーチングをしなさい」などと教えてきたものの、全てのことにおいて選手自身が意識して実行しないと身につく速度は遅い。条件反射や反復練習で身に付けさせる時間は少ない。

昔、声を出させるためのトレーニングの一環で、対人プレーやゲーム形式において「絶対声を出さないでトレーニングをしましょう」とやってみた。
意識をしていない選手はついつい声を出してしまう。いつも声を出さない選手は「しめしめ」と思っていたかもしれない。
声を出してはいけないという”意識”を、させることで頭のトレーニングをした事が幾度とある。

”意識”の後は実行。

現在のコロナ禍において、声を出さないでゲームをするということは、情報を仕入れるには目しかない。
コロナを避けるための喋らない事で、”意識”と”視野”を広げる一石二鳥のトレーニングになる。
ちょっと無茶な話かもしれないが‥‥
小崎 峰利

2020年8月17日月曜日

意識の先にある事

コロナの感染者が急激に増えている。

練習前後、いつも選手達には自分がコロナに感染しているつもりでオフザピッチの行動をする事。またコロナにかからないように気をつけてなど相当口うるさく言っている。
その事により、選手それぞれがコロナ対策を意識する事は間違いない。

サッカーにおいても、選手自身の意識レベルの違いがある。

中学生であれば、夢に近い状況でプロになりたいという意識。
大学生にもなれば、卒業後はプロになるんだという意識。

我々指導者から見て、「あの選手は意識高いよね」「彼は言う割にはちょっといい加減だね」とか意識レベルの話をよくする。

意識をさせるのにも一苦労するのであるが、意識の先にある行動。
これこそが大事であると考える。

コロナもそう。
コロナ対策をしなくてはいけないという意識はあるが、必ずマスクをすかというとそうでは無い場合もある。
手洗いうがい消毒も必ずやれるかというとそうでもない。
徹底が出来ない。

サッカー面でもそう。
「プロなりたい」「プロになるんだ」という意識を持っていても、その先にある行動レベルの高低差が著しい選手が多い。

我々指導者は、まず意識レベルを上げる事に心血を注ぎ、その意識の先にあるものを選手達が一生懸命模索し、レベルの高い行動を実行することが大切である。

このコロナの状況で何とか意識レベルのの向上を学び、今後のサッカー人生に活かしてもらいたいものである。
小崎 峰利

2020年7月20日月曜日

要素

サッカーで上を目指そうと思っている選手においての要素(キーワード)

技術(スキル)、体力(持久力)、戦術理解力、忍耐力、思いやり、声(コーチング)、視野、判断力、早さ(速さではない)、強さ、激しさ、切替、バランス、リズム感、ポジティブシンキング、統率力、仲間意識、真面目、一生懸命、キック力、危険察知能力、予測力、調和、自己主張、配慮、助け合い、創造力、想像力、運

まだまだあると思うが、ザッと思い浮かべただけで色々な単語が出てきた。

この全てをサッカーという競技の中に落とし込んでいくことが出来れば、どのようなチームに行っても、また、どのような指導者の元でやっても重宝される選手である事は間違い無いと思う。

さらに、サッカー以外の分野でも通用しうる要素である事も間違いないであろうと思われる。

欲張りな自分としては、全ての要素を身に付けられるよう選手には要求している。

毎日毎日話をし続けていくと、何故かできるというか、やろうとする選手が出できて、目に見えて成長を実感できる選手が現れる。

そういう要素をちりばめた声かけであったり、そういう要素を含んだトレーニングメニューであったりを考え実践していくと、サッカーのトレーニングをする事によって、より勝利に近づき、より大人になっていくという二重の喜びに浸れる。

これが指導者冥利に尽きるという事である。
小崎 峰利

2020年6月8日月曜日

新型コロナウイルス緊急事態宣言明けのリバウンド

新型コロナウイルス緊急事態宣言が全国的に明け、人々の思いは「緊張が解けて普通の生活に戻れる」との楽観論、また、「緊急事態宣言が明けたとしてもすんなり元に戻ることなんてできるはずがない」との慎重論と大きく分けて二つに分かれると考えられます。

子供たちはそれぞれの性格にもよりますが、親御さんというか家庭内のコロナに対する考え方の空気感が微妙に影響してきているはずです。

春休み、夏休みなどしっかりとした区切りがあって、計画的に過ごせば楽しくも勉強になる、また、サッカーに関してもトレーニングと試合など、やり方によっては自分自身の成長などを自覚できる期間があるはずなのですが、計画を立てたくても環境や行動制限など制約が多く、誰も経験したことのない時間の組み立て、精神のコントロールなどなどモチベーションを保つ事もままならない状況が続いたと思います。

このような状況において、いきなり学校生活やスポーツなどグループや集団での活動に、すんなり入って行くことのできない選手が出てくるのも当たり前の事と思われます。

そんな時、大人はどの様に対応していくべきか?

いきなり前と同じことを求めても難しいはずです。

徐々にという選手、今までと変わらず流れに入る事の出来る選手をしっかり見極め、それなりの対処をしなければメンタルをやられてしまう事も考えられます。
繊細に、かつ、ゆっくりをベースに、選手たちを元の軌道に乗せられる様にしていきたいと思います。

もし、ご家庭や学校生活において気になる様な事象を見受けられたら、遠慮する事なくスタッフに相談というか情報を教えていただければと思います。

以上の事を踏まえながら、緊急事態宣言下でのそれぞれの行いが違う様に、これが明けた時のリバウンドもそれぞれが違うということをしっかり理解して夏を迎えさせたいと考えています。

今後とも選手達の為に、我々大人が良い手助けが出来るようにしていきましょう。
小崎 峰利

2020年5月7日木曜日

何気ない生活

今年の初めから新型コロナウィルスという新手の病気がジワジワと浸透し始め、4月には我々が経験をしたことの無い、未曾有の状況になっている。


自分も含めて日本国中、生きている人全ての”何気ない生活”、子供は遊び学び、大人は働き、またお年寄りはのんびり余生を楽しみ、もちろん何気ない生活の中で苦しみや悲しみを抱えておられる人もいるでしょう。


今回のように、何気ない生活の時間の中でとんでもない危険や制約を受け、でもその危険がいつ、どこから身に降りかかり、どこでその危険を自分が身近な人も含めた他の人に巻き散らすか分からない

我々指導者にとっても、選手達がスポーツ(サッカー)をやりたくても出来ない状況が目の前に来るなんて想像すら出来なかった。

”何気ない生活”が、いかに大切かつ素晴らしいことなのか分かりつつある。

このような何気ない生活を送る、以前も今も同じように人には24時間が与えられている。その24時間の中で、目的を持って行動する事は食事と睡眠、これはどんな時でも一緒。
それ以外の何気ない時間、学ぶ(勉強、サッカー)時間、これが今後どのように影響してくるのか非常に興味深いというか、怖い。

コロナ対策のそれぞれの基準。何気ない時間のそれぞれの学びの基準。
やはり具体的な事を掲げて実行できるか否か。
これが大切。

我々指導者は、沢山の経験、勉強、情報収集から具体的な意識を選手に持たせる事で、それぞれの基準を上げさせていく事が大事だと改めて痛感する。

この厳しい状況の中、それでも何気ない時間が流れ何気ない生活は続く。
今までの何気ない生活が送れることに有り難さを感じられる様になり、何気ない時間の中にもしっかりとした具体的な行動をとる事が出来る様にしたいものである。
小崎 峰利

2020年4月7日火曜日

察しの文化

日本は昔からおもてなしなど、気配りを重んじてきた文化がある。

私の座右の銘である”予測と配慮”も、色々なことを予測してそこに気配りをしましょう、という考え方である。

サッカーにおいても、パスの受け手がどの様な態勢で、どの様なスペースでボールを受けたいのか予測し、ボールの転がり方や回転を考え、受けやすいボールを配給する。

このように考えると、予測と察するは同義語である。

しかしながら、サッカーではなく一般的な生活の中において、色々な事を察する事の難しさ。

ある選手と違う選手に同じ指摘をする時に、相手の感受性や性格を察して、どの様なアプローチをすれば良いかを考えてアプローチをしてきた

そういう考え方でいけば、察するという事の重要さが分かってくる。

また、相手の気持ちを察しながら物事を進めていくという社会人時代に培ってきた事が、指導者になって存分に発揮出来ている事も事実。

今後、選手にも若い指導者にも”察する”ことの大切さを説いていこうと思う。
小崎 峰利

2020年3月10日火曜日

大人

私の話す内容には、よく出てくるフレーズがある。
中学生にも、高校生にも、大学生にも”大人”というフレーズである。

中学生、特に小学生から中学1年生になりたての選手に対して、また、その選手の保護者に対しても、「彼らを大人として対応してあげて欲しい」と話をする。

私達指導者は、選手に”大人”を意識させることから始める。

”大人”という言葉には様々な基準がある。
社会では18歳か20歳で”大人”という扱いをする。

13歳で「大人」を意識させることの重要性は、名古屋FCでの20年強の経験の中で一番感じている事でもある。数多くあるキーワードの中でも、1~2を争う重要度である。

サッカーの指導者であれば誰でも知っている言葉がある。
“サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする”という言葉である。

非常に簡単な言葉ではあるが、間違いのない、また重みのあるフレーズである。
しかしながら、どういうことが”大人”であり、どういうことが”紳士”であることなのかは、指導者のさじ加減一つで決まってしまう。
その中身を勉強、研究することが大切である。

サッカーに必要なツールとして技術があり、そのツールをグループとしてどのように使いこなし、チームとしてどのようなコンセプトで完成させるかがサッカーの面白さであるが、そのすべてを司るのが頭と心である。
その頭と心を作るのが、子供よりも”大人”の方がより完成度が高くなるということ。

この”大人”にさせる沢山の経験と研究のおかけで、私の”大人”という引き出しの中身は溢れ返っている。

そのおかげと言っても過言ではないと思うが、私がゼロから立ち上げた大学チームは8年でやっと”大人”ということを意識をし始めた選手が多くなり、けっして上手くはないものの良いチームになりつつあり、勝てるチームになってきた。

少しでも早く、できれば13歳から”大人”を意識させることが大事である。

小学生のサッカー選手のご父兄で、もしこの深層に興味のある方は、名古屋FCグループに加入していただくか、聞きに来られるかして下さい。

指導者で興味のある方は、いつでも連絡してください。(笑)
小崎 峰利

2020年1月31日金曜日

理不尽

サッカーのようなスポーツの世界では、よく”理不尽”という言葉が使われる

社会においても理不尽はそこらじゅうにある。
私も社会人生活を30年もしてきたのでよくわかるつもり。

しかし、理不尽にはこれといって基準がない。
例えば、選手が頑張っているのに試合に出られない、何で自分の方が上手いのにあの選手が試合に出てるんだ、
何であの選手がレギュラーで自分はサブメンバーなんだ、あの選手はチームの仕事もサボるし自分勝手で自分の方が真面目にやってるのに…、などなどとよく耳にする。

理不尽は基準がない上に見るものによっては全然別物になってくる

頑張っただけではレギュラーになれない。
でも頑張らなくてはレギュラーにもなれないし、本当の意味での本質が上がらないのも事実。

その理不尽という言葉に大義名分があり、それに甘えたり、文句を言う選手や大人がいる。
ここに落とし穴があることに気が付かないと、いつまでたってもレベルは上がらない。

とにかく、ひた向きに自分を信じてやり続けられるようにさせたい。
”理不尽”という言葉に惑わされないように!
小崎 峰利