2018年5月24日木曜日

指導者のあるべき姿

残念な出来事が起こった。

今、世間の注目を集めている日大アメリカンフットボール部での出来事

指導者はある意味、演出家であると考えている。

学生スポーツの真の目的は、人間性を養うことである。自分自身で到達できない領域でも、そこに行き着く選手が必ずいることを信じ、かつ、勝利も追及しながら、一番大事なところを優先するのが指導者の義務。

昔だったら、ピッチの中に入って引きずり出した上で叱咤していた。

現在でも引きずり出し、叱咤の代わりに毎日話をし続け、事の良し悪しを知らしめる。
このようなことを理解させ土台にしなければスポーツは極められない。また社会においても通用しなくなってくる。

見る限り当該学生の心根は非常に優しく、真面目な選手ではないかと推測する。

経験上、あのような選手は真面目に取り組み人から後ろ指をさされないように人生を歩むか、虚勢をはり吠えながら進むかのどちらかが多いと考える。
そのような心根の優しい選手を、あのような行為に走らせた指導者は悪である。

闘うことは大事で、それを教えるには大変な労力と根気が必要であるが、方法はある。
実際の指導の現場では、毎日のように説法を繰り返し、頭で学ばせ、心で感じさせる、とてつもないエネルギーを注ぎ込まなくてはいけない。
この事を怠ると本物は育たない。

指導者が間違った事を教えれば、その集団(チーム)は必ず間違った方向に進むであろう。
小崎 峰利

2018年5月9日水曜日

感情のコントロール

怒られると「やだな、うるさいな」、誉められると「やった、うれしいな」という感情がまず生まれる。

サッカーシーンや勉強を含む学校生活の中において、”なぜ怒られ””なぜ誉められた”をよく理解できず、次に進んでしまう場面がいかに多いか。
その時の感情が優先して、”行為”や”理屈”が抜けている。

感情をコントロールできるだけの”理性”や”知性”を養うための説明がないと、子供達は色々な能力によって差が出てくる。

この差は必ずあるが、”解説”と”説明”によって差は縮められるはず。

教えすぎは良くないと言うが、”理屈”は教えてあげないと進歩するものも進歩しないということになる。
小崎 峰利