2015年10月26日月曜日

13歳から15歳までの育成に重要なこと

名古屋フットボールクラブの20年におよぶ歴史の中で考え続けてきたことがある。

「サッカーを上達させるために何が一番重要か?」

サッカーにおいても守備のプライオリティーなど色々な優先順位がある。
13歳でジュニアユースに入ってきた選手に対して最初に着手することは、“その気にさせる・本気にさせる”ということから始める。

“その気にさせる”ということはどういうことか。
何歳からかわからないが、幼稚園か小学校低学年からサッカーを始め、お父さん、お母さんの協力を得ながらサッカーという競技に夢中になってきて、大会に出て勝利し喜び、負けて涙し、その中でひたすらトレーニングをする選手もいれば、何となくサッカーをする時間を過ごす選手もいる。

ほとんどの選手がボールを買ってもらい、リフティングから始まり、10回、30回、100回と目に見える結果に喜びトレーニングを重ねる。しかしながら、サッカーを始めてしまうと意外と“個”のトレーニングはおろそかになる。

何を努力すればいいのか?
努力のレベルは人それぞれ、この現状をいかに把握し、できればそれぞれにアドバイスをしながら、“何をどれだけ努力すれば”上をめざすことができるのかということを徹底して教える。

これが“その気にさせる・本気にさせる”ということである。

“何を”という中身はそれぞれのクラブや指導者のノウハウであり、努力の基準は、チームが歩んできた歴史やプロセスに隠されている。このような重要なことを、まず持って論理的に話をし、日々のトレーニングの中で頭の中と心の中に徹底して印象付けるところから13歳は始まる。

勉強に取り組むことにしても、同様に考え方と取り組み方を徹底して説明する。
全般的に、自ら進んで勉強する子供は少ないと思われる。一般的な光景として、お母さんの「勉強しなさい」という言葉から始まり、「早く塾行かないと遅れるわよ」という日常的な会話が始まり、しぶしぶ?勉強机に座り、しかたなく?塾に行く。ここでお母さんはひとまず安心する。しかしながら、成績は一向に上がらない。
最近の塾も昔とは違い、それぞれの個性を尊重しながら個別指導をするタイプも増えてきたと聞いている。昔ながらの授業体系のところでは学校の授業と同じで、ためになるかしっかり飲み込めているかの個人差ははっきりと出てくると思う。

サッカーにおいても同様の現象になる。
同じトレーニングをして、同じだけの時間を共有していても上手くなる選手と、いつまでたっても成長が乏しい選手がいる。

サッカーは反復で覚える動作やボールコントロール系、考えながら動く動作、考えながら動くポジショニング、状況に応じた判断、それもすばやく判断をするなど、一見動きは同じでもしっかりと頭の中が働いた上での判断・動作なのかを指導者が見極められるかことが大切である。

このような観点と視点でトレーニングを進行できるか?
全ての指導者ができるはずもなく、ただこういう論理をしっかり持っているかどうかの3年間はとてつもなく大きな差になってくると考える。

名古屋フットボールクラブは“その気にさせる・本気にさせる”ことから始まり、世界やプロに行っても困ることのないノウハウを惜しげもなく伝授する。コーチングスタッフにも、どのように選手たちをサポートするのが良いかを毎日考えさせている。

その積み重ねが、名古屋フットボールクラブ出身選手が全国の高校で少なからず活躍し、更に11名がプロ選手になったという結果に表れ、3年間の重要さを証明していると自負している。
小崎 峰利

2015年10月16日金曜日

「街のクラブチーム」から「全国区のクラブチーム」を目指して

私が指導者になったのは30歳からである。その時は現役を引退して、永年お世話になってきた社会人主体のクラブチームでコーチングを始めた。ある意味“指導”とは何かもわからずにスタートをした記憶がある。ただ今も昔も変わらず、「サッカーにはまじめに取り組みなさい」と言い続けてきた。今もその“まじめ”の奥深さを追及しているとともに、どうしたら吸収率の高い選手を育てられるかという永遠のテーマに挑んでいる。

その後、恩師が運営していた名古屋GJというチーム(後に名古屋フットボールクラブの母体となる)の小学5年生(後の名古屋フットボールクラブ・ジュニアユース1期生の中心)を担当させてもらうようになった。
いろいろな意味で個性あふれた選手が多く、その選手たちが6年生の時に愛知県代表で読売の全国大会に出場したのが、指導者へのめりこむきっかけになったように思う。

読売の全国大会に出場した中心選手3名が名古屋グランパスのジュニアユースに入団したが、それ以外の選手に関しては、当時キャプテンであった選手の親御さんが中心となり、独自のジュニアユースチーム創設の流れになっていった。その流れの中、監督を引き受けることになって名古屋フットボールクラブの創設となった。
運が良いことに、個性あふれる選手が多かったことや、全国の舞台で悔しい思いをした選手がほとんどということもあり、上を目指すにはもってこいのスタートとなったように記憶している。

この年代はJリーグができ、小学生達がJリーガーを夢見てサッカーを始めた選手ばかりである。しかしながら、この夢をみさせつつ、夢を成就させるには相当に厳しい現実を理解させ、努力させ続けることなど、先に書いたことをしっかり身につけた上で次のカテゴリー、すなわち高校へ送る責任を感じつつスタートさせた。

名古屋フットボールクラブを本格的にスタートしてからは、とにかく強豪チームに頭を下げて武者修行を続けた。3年後には高円宮杯の愛知県大会で優勝し、その後愛知県チャンピオンを3年連続(1期生から3期生)獲得することになる。

1期生が高円宮杯東海大会も勝ち抜き全国大会3位、優勝・清水エスパルス、準優勝・読売ヴェルディ、3位・ジュビロ磐田と名古屋フットボールクラブという成績を収め、“街クラブの頂点”に立った時が、“街のクラブチーム”から脱却し“全国区のクラブチーム”を目指すという方向性が見えた瞬間である。

 “全国区のクラブチーム”となるためには何が重要かを考えた時、ベースとならなければならないのは、やはり“まじめさ”であると感じた。

チームカラーとして“あいさつ”“身だしなみ”を厳しく指導、また、今でこそ当たり前だが、移動用のジャージ・シューズ・バッグを揃えて(あえて費用をかけて)“規律”を重んじてチームの大切さを強調、さらには私生活・学校生活・勉学についてもかなり厳しく指導をした。

当時は、若い指導者がJリーグクラブの下部組織を指導していることが多い中、オンザピッチだけでなくオフザピッチにおいて、それなりの存在感を示すことができていたことが、後々の全国の高校サッカー界とのパイプ作りに繋がっていったと実感している。

小崎 峰利

2015年10月9日金曜日

中学年代はあせることなく、次の高校年代へつなげることが使命

高校年代での活躍に向けて、目に見える技術のレベルアップはどのチームでもやろうと思えばやれる。しかしながら、私が重要視していることは、サッカーに対する“取り組み方”“考え方”“対応力”の3点である。

これらについては、経験上ご家庭では行き届かない可能性が高い。

サッカーに対する想いは皆同じであっても、個々の性格や生活環境などが違うなか、取り組み方や我慢の程度はそれぞれ違う。
近代では“ほめることが重要”とよく言われるが、果たしてほめることだけで良いだろうか?我慢の程度や言われることへのアレルギーはそれぞれ違う。

親から言われるうっとうしさ。好感を持てない先生から言われることへの拒絶反応。それらをすべて飲み込ませること、また、飲み込む前にしっかり咀嚼(噛む)させること。
これらを根気よく言い聞かせることで、コツコツやることの重要さを学ばせることが大切。

難しいことや大変なことに黙々と取り組む選手は必ずいる。

「発育段階でのスナック菓子やカップラーメンは身体に良くない」と言えば大学まで食べない選手。

「最近のサッカーシューズは高価なので、せめてお年玉をためて買いなさい、できるなら新聞配達を走りながらして買ってみなさい」と言ったら、本当に新聞配達を始めた選手もいた。

「風呂を出て必ず股関節のストレッチをすれば、身体は6ヶ月で柔らかくなる」と言ったら、みるみるうちに柔らかくなった選手もいた。

指導者は、時にできそうにもない理想を選手に突きつけるのだが、私が預かる年代は得てして純粋無垢な選手が多いので、果敢にチャレンジする選手も少なからず存在する。
一人でもチャレンジする選手がいれば、いい加減なことは言えない。こちらも真剣に向き合う。場合によっては、親御さんと連携を取り、子供へのアプローチの仕方までアドバイスをさせてもらい、また、私もあらゆる角度から選手にアプローチし、様々な演出も行いながら潜在能力を目一杯引き出すことを目指している。

高校の監督も必ず性格やチーム作りの考え方が違う。
叱り方や檄の飛ばし方も違う。理不尽なことも多々あるのが現実である。

全国の高校について、私が知っている実態を具体的に話すことにより、選手は高校へ進学してから「なるほど、これが小崎監督の言っていたことか」と納得しやすくなり、ストレスを感じることが少なくなるはずである。

選手とは高校へ進学した後もコミュニケーションを取り続けるようにしている。特に県外の高校へ送り出した選手には定期報告をさせている。アドバイスもできるし、選手も名古屋フットボールクラブの存在を常に意識してくれる。

サッカーに対する“取り組み方”“考え方”“対応力”においてのベースがあってこそ、どんなレベル(サッカーの)の高校に行っても迷うことなくやっていける大きなアドバンテージかと考える。

次の年代へつなげるために「頭の中」を改善させていくことが最も重要である。

小崎 峰利