2015年9月30日水曜日

名古屋フットボールクラブの原点 ~ネルソン吉村氏のひと言~


ゴールデンエイジという言葉があるように、この年代で体が完成されている選手は一人もいない。ジュニア(小学年代)を4年ほど指導していたときに、現在もそういう傾向があるかと思うが、身体能力を優先させるサッカーが主流だったように覚えている。

そのジュニア選手達といっしょに17名でジュニアユース(中学年代)を立ち上げ、1年間は2学年上と戦い、翌年も1学年上と戦い、特に最初の頃はテクニックがパワーに消されるという歯がゆさがあり、それは今でも忘れない。
ボールを奪われない為にはどうしたら良いかという想いで、1年生だけの夏休みからとにかく基本にこだわった。我がチームにもご他聞に漏れず、身体能力の高い選手も少数ながらいたが、身体も小さく、スピードの無い選手もいた。
様々な能力の選手が混在する中で共通して身につけさせることが出来るのは、個人の基本技術であり、個人の基本戦術であると感じながら指導を続ける毎日であった。
ステップワークを含む足さばきとボールさばき、観ることなど視野の広さに加え、最も重点的に取り組んだことはキックの精度を上げることであった。

その年、忘れもしない出会いがあった。
今は無きネルソン吉村氏(日本リーグ時代のヤンマーディーゼルで釜本邦茂氏らとともに黄金期を支えたブラジル人帰化第1号の選手)と懇意になり、サッカーについて話をする機会を得た。ネルソン吉村氏から「Jリーグが始まって日本人は運ぶ技術はかなり上手くなったけど、蹴る技術は僕が日本に来た30年前とあまり変わっていないと思う。サッカーはキックの技術が一番大切なのに・・・」と言われ愕然とした。

それは、自分の指導方針が“感じながら”から“確信して”に変わった瞬間であり、今に至っても全くブレることはない。

それからというもの、明けても暮れてもインサイドキック、インステップキックを練習し、脚の角度、膝の角度、身体の向きなどキック精度を上げるためにかなりの時間を注ぎ、キックは格段に上達した。しかし、身体が小さく、スピードが遅い選手がインサイドキックで相手によく引っかかる場面を見て、アウトインステップを思いつき、徹底してアウトインステップを練習した。この効果はてきめんであり、インサイドキックは身体の向きで予測され易く引っかかることが多いが、アウトインステップでさばくことにより、引っかかる回数が極端に減ってきた。

ここが名古屋フットボールクラブの原点である。

その後すべてワン・ツー・スリーのリズムをワン・ツーに短縮するパスワークを徹底したことにより、ヘッドダウンが減り、視野の広さにつながり、ボールを奪われる回数が減ってきた。ボールがつながれば、判断の早さも要求され、必然的に状況判断せざるを得ない回数が増えるため、経験値が上がっていく。

ところが、それでも勝てるという保証が無いのがサッカー。勝てるかどうかはわからない。ただ、このベースにいくつものスパイスを混ぜれば勝てる確立はかなり高くなるというノウハウはある。これは内緒だが・・・

小崎 峰利

2015年9月1日火曜日

改めて「育成」について考える ~最近考えること~


名古屋フットボールクラブは、毎学期通知表を提出させる。総合評価の高い選手や低い選手がいる中で、いろいろな観点から分析をする。遅刻、欠席の有無、各学科の細かい項目の評価、教師の所見、課外活動の内容と評価など。

気になることが一つ。数字で表されることは良くわかるが、総合評価が低い選手に対する教師の評価コメントに悪いことは記載されていない。おかしなことである。私が見る限り、評価の低い選手は何らかの問題があるのは事実である。毎日見ていて良いことばかり書いている。必ずやポイントがあるはず。それが見えてこない。

私はいつも感じる。数年来言ってきた事であるが、選手の集中力、勉強やサッカー、教師や指導者の言うことをまったく聞いていない選手が結構いる事に気がつく。まずここに気がつかなければ、その子供の全てを伸ばすことには限界がある。
サッカーにおいては、身体能力やサッカーに関するセンス、持って生まれたボディバランス、スピードやフィジカルなど、小さなときからこれらを持っていたとしても、先に書いた聞くことや、聞いたことを頭に留め置き、実行することが出来て初めて伸ばすことが出来る。

グラウンドに出て同じ時間を過ごすにも関わらず、伸びの低い選手がいる。これは聞いてきたことを考えず、今まで通り行ってきたことを反射的に行ってしまう癖がついてしまっているからである。勉強にしても、評価の低い選手は「勉強をやらないからだ」と決め付ける保護者も多く居る。勉強机に息子が座っていれば安心する。塾へ行っていればほっとする。当たり前であるが、サッカーにおいても同じ現象である。グラウンドに出ているが、ただがむしゃらにやっているだけ。そのがむしゃらの、その頑張りにも個人差がある。

最近は、指導者が、教師が一人ひとりの分析をあまりしていないんではないかと思ってしまう。我がチームの指導者には、とにかくまず選手の分析をさせ、どのようなアドバイスが良いのか、またどのようにしたら頭が働くのか、どのようにしたら話を聞くことが出来るのかを常に観察とコミュニケーション、声掛けをさせている。最優先は意識をさせることである。

こういう選手がいる。話を聞くときは、話をする人の目を見て聞きなさい。昔からよく言われてきたことである。ただ、目を見ることに集中して話の中身をまったく聞いていない選手がいることも事実である。我がチームは全てのことに共通するであろう、意識付けに心血を注いでいる。

サッカーにおいてのことを一つ。
先に書いた能力の高い選手にありがちな感覚でサッカーをするということについて、少し気になることがある。たまにトレセンの活動やハイレベルの試合を見に行くことがあるが、選手の動きや戦術論が全てのように感じる。個人に特化したコメント、例えば足の使い方、ターンの仕方、体の向きに関してはよくコメントを聞くが、どちらの足でボールを奪いに行くかとか、体のぶつけ方などの個人技術や個人戦術に関しては少ないと感じざるを得ない。この育成年代は個人のレベルアップ、特に「蹴る」「運ぶ」「止める」はもちろんのこと、「観ること」や「相手との駆け引き」「足の使い方」もう一つは「シュートを含むキックのレベルアップ」など個人にもっとフォーカスして欲しいと感じている。

最近は能力の高い子供がサッカーに関わる時代から、すべての子供がサッカーに関わることができる時代に突入してきている。同じ年代でも、また、どのような資質を持った選手にでも対応できる指導者を目指さなくてはいけない。

私は長年にわたり育成年代を見てきている。その中で様々なレベルの選手に対応してきた。そのノウハウを駆使して、今後も育成年代の指導者のスペシャリストを目指すと共に、このような対応力を備えた指導者を育てることにも心血を注ぎたい。

日の丸から世界に羽ばたく選手を目指し、また人を思いやれる選手、常にチームのことを考えられる選手、キャプテンシーを持った選手。どのようなチームにも欠かせないキャラクターの選手を数多く輩出したいと考えている。

小崎 峰利