“サッカーは、感性のスポーツである”
“教えすぎは、良くない"と言われる
確かにサッカーには正解はない。良い場合も悪い場合も含め、指導者の思惑とは違った選手の選択が思わぬ結果を招く。
ある場面で、「そこはシュートだろ」と思ったらパスを選択した。「そこはパスだろ」と思ったら、強引にドリブルを仕掛けた。指導者の思惑とは違った選択をしたのだが、その後の結果はゴールだった、という場面が多々ある。
そこで、我々が指導するのは“選択肢の多さ”である。
「その選択しかなかった」ではなく、「いや他にも選択があったけど、敢えてそうした」のであれば、その選択は否定できない。
サッカーにおいて、攻撃に関しては感性が大きなウェートを占める。ただ、我々が指導する対象の選手は、個人技術、個人戦術を覚えることが大事である。
例えば、前を向いて欲しい場面で、利き足を理由に前を向くタイミングがワンテンポ遅くなることがある。何度指摘をしても改善されない。このようなことが多々ある。
この現象は、何度聞いても頭の中での意識が低く、その場面での感性というか、思いのままにコントロールをしてしまうという繰り返しが多い。そのままの状態で、もっとスピードがアップする上のカテゴリーに行った場合、即座につぶされるプレーとなる可能性が高い。そのような場合は、個人戦術の問題。
また、よく耳にするのは「ボールばかり見るな」という声である。わたしもよく言う。何度言ってもボールにつられる。これは、意識不足によることが多い。“頭を使う”とは、こういうこと。
「サッカーは、頭が良くないとできないんだよね」と指導者は言う。この場合の頭が良いということは、“聞いたことを意識して実行しようとしてきた回数が多いか否か”ということである。
学校の成績とは若干意味合いが違う。ただ、学校の成績ともリンクすることがあるということも事実である。
結局は、いかに話を聞いて、頭の中で整理整頓して、即座の実行を心掛けるかということに他ならない。聞く力を身に着けることは重要。
サッカーは、能力と感性だけで上を目指すのが難しいスポーツになってきている。
小崎 峰利