2026年4月9日木曜日

才能

「あの選手のボールタッチ独特だよね」
「あの選手のシュートのタイミングってキーパーワンテンポ遅れるよね
「あの選手のパス、あんな所を見てるんだ」
「あの選手めっちゃ速いよね。縦に行かせたら止められないよね」
「あの選手ボール持つ姿勢が良いよね」
「あの選手危険察知能力高いよね、インターセプト上手いよね」
「あの選手身体強いね」
「あの選手のヘディング滞空時間長いよね」

これらは全てJr、Jrユース、ユース年代で交わされる会話である。

さらには「あの選手天才だよね」とか「才能あるな」とか、多くの仲間やライバルたちから言われた選手である選手が、いつのまにか競技サッカーからいなくなってしまう現実を多々見てきた。

確かに才能は存在する。
存在はするが、その才能を最大限に活かすには継続と努力が必要。

特にサッカーという競技は、不確定要素が多い競技である。
チームの意思統一も必要、協調性も必要、ある意味のわがままも必要。

元々の才能のある人だけが、サッカー選手になっているわけではない。
ボールを蹴り始めてから、数々の指導者の言う事を健気に聞いて努力してきた選手が、現在の「上手いよね一」という選手達。

大多数が才能と努力の継続をして来た選手である。
稀有な才能を持っていたとしても聞く耳を持たなかったり、努力の継続が出来ない選手は、遅かれ早かれ上位の競技サッカー界からはいなくなる確率が高い。

よって、努力の継続こそが、最高の才能ではないだろうか。
小崎 峰利

2026年3月13日金曜日

完璧

育成年代(最終は大学生)であろうが、プロであろうが、アスリートを目指す人間は、ある意味完璧を目指さないと上達速度が早くならない。

また、チームスポーツであればなおのこと、中途半端は決してチームの為にもならない

挨拶がしっかりでき、その挨拶も状況に応じて種類を分ける。
監督やコーチの話は徹底して聞く。
トレーニングは常に100%で臨み、リラックスや休養はしっかり取る。
身体に入るもの食事など栄養にも気を使う。
チームメイトや相手や審判へのリスペクト。
などなど

一方で、完璧に出来ないことが多い育成年代に完璧を意識して行動することで、必ずや失敗することに直面する。
この失敗こそが、成長曲線を上げることになる。

完璧は難しいが、意識させる事はできるはず。
頑張って言い続けよう。
小崎 峰利

2026年2月6日金曜日

当たり前

育成年代の指導を始めた頃からだから約20年以上前になるが、「当たり前の事を当たり前にできるようにしよう。」とよく言ってきた。

朝起きたら「おはようございます」、悪いことしたら「ごめんなさい」から始まり、時間を守りましょう、などなど。
社会生活の中での当たり前がたくさんあり、サッカーにおいても様々な当たり前があった。

最近におけるサッカーは、かなり多くの当たり前が増えてきた。
近代サッカーにおいては「ハードワーク」は当たり前、FWなど前線からのプレスは当たり前などなど、「当たり前」も時代と共に移り変わるのはあると思うが、古き良き時代からの当たり前が現在の子供達というか若者に上手く伝わってきていないと感じる事がよくある。

育成年代の人間教育とスポーツにおける進化は比例していると思う

「当たり前」の事を当たり前にできるように、できるだけ具体的な事例で説明しながら、根気よく話をしている今日この頃である。
小崎 峰利

2026年1月16日金曜日

チャレンジとリスク

人生を振り返る歳になると、色々と思う事、考える事、後悔する事。
 
自らの過去を省み、情けなさを感じつつも、今のサッカー選手(最近は大学生)を見ていると、どうしても感じてしまうことがある。それは、これからの社会人人生において、本当の意味で「チャレンジし続けられる」選手が少ないのではないか、ということだ。
 
せめてサッカーぐらいは、チャレンジして欲しいとつくづく思う。
 
劣勢が予想される試合でもリスクを恐れてチャレンジせず、その間にイージーなミスでボールを奪われ、ショートカウンターを喰らう。
劣勢が予想されれば、なおさらチャレンジして失敗して欲しい。 (チャレンジが上手くいけば最高ではあるが)
 
誰しも人生の失敗はしたくないので、安心安全を志向するのも頷ける。
 
しかしながら、サッカーにおいての失敗は、悔しさと楽しさが入り混じっているのである意味面白い。
 
確かに人生での失敗はしたくないものである。だからこそ、若いうちにサッカーという競技でチャレンジの醍醐味を味わい、人生の判断に役立てて欲しいと願う今日この頃である。
小崎 峰利