2025年6月10日火曜日

人を伸ばす

最近は、誉めて伸ばす事が主流になってきている。

昔は、良くも悪くも叱咤しながら伸びてこい、というのが横行というか基本の時代があった。
私の時代はそれをベースに現代の指導の仕方になりつつある。

しかしながら、振り返ってみれば私自身は今も昔も何も変わっていないと考える。

確かに昔は叱咤する事の方が多かった気がするが、良い事はいい、悪い事は悪い、何が良くて何が悪いかを判断する我々指導者は良い悪いの区別を勉強し続けなければ務まらない。

それと共に、選手の性格を理解しなければならない。
叱咤する事の方がプラスになる選手もいれば、叱咤する事にアレルギー反応を示す選手もいる事を知らなければならない。
特に現代は、そのような人間が増えてきている事を肌で感じるようになった。

怒られる、叱咤されることに慣れていないというか、叱咤する事がいけない事、叱咤してはいけない事として扱われている感が否めない。

そうじゃなくて誉め方、叱り方を学べば事は済む。
ただこれが難しい事は事実である。

人を伸ばすことの難しさは今も昔も変わらないが、私は昔からそれが比較的出来ていたように感じるのは、ただの自己満足だろうか。
小崎 峰利

2025年5月14日水曜日

中途半端

指導者としてというか、心理的、性格的な観点から最近のサッカーにおける各カテゴリー(主に中学生と大学生)の選手を見ていると、何故これほど中途半端と思わざるを得ない選手の多いことか。

トレーニングが始まる頃の時間に来て、どれだけ言っても準備は中途半端。
また、トレーニングそのものも言われたメニューを良く言えば淡々とこなし、どう見ても抑揚のないパフォーマンスに終始し、トレーニングが終わったらダウンもいつも通りに流れでこなす。

中学生に限っては、親御さんに聞いてもボールを持って遊びに行く、自主トレに行くなんていう選手は皆無。

大学生においても、一部の上を目指したいと公言している選手にしても必死さというか、鬼気迫るものなど微塵もない。

サッカーというスポーツが、昔に比べメジャーなスポーツの仲間入りをし、誰しもが海外のサッカーを見られる時代になり、普通にトレーニングをこなせばそこそこになると勘違いし、上手くいかなくなれば諦めるというか、他に目が行く。
いわゆる負けず嫌いの子供が減り、そこまで苦しい思いをしなくても普通に過ごせる。
チャレンジも出来なければ、せめて派手さは無くてもコツコツと地道に努力を重ねてさえいけない。

このような中途半端な青年が多くなってきているように思えてならない。
われわれ指導者というか大人は、このような選手達に多くを語りかけ、何とか自分を確立する為の手助けをすべきであるとつくづく思う歳になった。
小崎 峰利

2025年4月17日木曜日

スプリント

ここぞという場面のスプリントをするかしないか、できるかできないか。

このスプリントの大事さを、スプリントする選手以外もしっかり理解しているかどうか。

スプリントさせる事もチーム力。

スプリントした後、結果的に上手くいかなかったとしても、スプリントしたことが必ずや報われてくることを我々指導者は理解させなくてはいけない。
ショートスプリント、ミドルスプリント、ロングスプリント、いかなるスプリントもチーム力として蓄積される。

スプリントは、攻撃にも守備にも必要。
ボールに関わる選手のみのスプリントでは物足りない。
攻撃でも守備でもスプリントする枚数が増えれば、二重にも三重にも厚さは増す。

単純なことではあるが、これが出来ないんだな。
小崎 峰利

2025年3月12日水曜日

基本練習

基本練習のクオリティが疎かになっている。 
というか、最近大学生の基本トレーニングを見ていると3種類のクオリティに気がつく。

例えば、フィジカル要素、ボールコントロール、なおかつキックのクオリティを上げる為の複合的なトレーニングを実施する。

その3要素の意図を理解して、更に効果をイメージしてトレーニングできる選手。
フィジカル要素を含んだトレーニングもそれなりにやってはいるが、ただ普通にやっている選手。
ボールコントロール要素についても、止めどころや止め方を何気にやっている選手。
キックも、ただ蹴っているだけの選手。

はたまた、全てに関して、とにかく一生懸命やる選手。
この一生懸命は大事なことではあるが、硬くなってしまってぎごちなく、リラックスできてない。また頭は使ってなく、考えながらのトレーニングになっていない。

基本トレーニングと言えども、考えて取り組む事が肝要である。
小崎 峰利

2025年2月21日金曜日

歳の取り方

JFAニュース2025年1月号で興味深い記事(サッカー讃歌、美しいサッカーを)を読んだ。 
帝京長岡高校総監督である谷口さんの記事。 

育成年代という前提であるが、レフェリーのジャッジに一切異議を唱えず、はたまた自チームに有利となる判定が下された場合、それがプレーヤー本人しか分からない真実をレフェリーに伝え、自チームが不利になっても正直に申告する。 

どんなジャッジにも不平を言わず次のプレーに切り替える。
勝敗の結果にかかわらず、最後にレフェリーをリスペクトしてゲームを終わる。 

当然ながら、谷口さん自身も勝利を目的としていたので、昔はレフェリーに対しても不平不満を言っていた自分がいたが、最近は帝京長岡高校のそのような振る舞いが身に付いてきたとおっしゃっている。

「心美しく勝つ」 

我がチームは「品格を持って大人と為す」
全くの同感である。

私が言うのも変だが、彼も良い歳の取り方をしているなあと感じた記事である。
小崎 峰利 

2025年1月21日火曜日

練習参加

近年、大学の練習参加に来る高校生が増えてきた。有名高校の選手、また無名高校の選手、大学サッカーというより、当たり前に上を目指したいという選手が多い。

練習参加を終えて感想を聞くと、強度も高く、スピードも早いのでキツかった、また技術が高いと感じました、などとそれなりに的を得ている。

そのような選手達に対して必ず言うことがある。

ここの大学(チーム)もまだまだだよ。
違いを感じられた事が1番で、その違いをどのように埋めていったらいいのか、自分で考え、スタッフに問い掛け、努力をしてこの大学(チーム)にきて!
もっと伸びるようにしてあげるから。
もっと大人にしてあげるから。
ただ、アドバイスはするけど、実践して身につけるのは貴方だよ。

先輩達も同じように言って入ってきているが、練習参加の時に感じた事を本当に受け止める事が出来ず、ダラダラとした学生生活とサッカー生活をする選手が多い年代はチームもレベルアップできない。

その感覚の選手が少なくなってきたゆえに、ようやく上を目指せるようになってきた。

これからも、フレッシュな選手が、フレッシュなまま、上を目指せる空気感を保てる努力をしたいと考える老指導者でした。
小崎 峰利