2025年5月14日水曜日

中途半端

指導者としてというか、心理的、性格的な観点から最近のサッカーにおける各カテゴリー(主に中学生と大学生)の選手を見ていると、何故これほど中途半端と思わざるを得ない選手の多いことか。

トレーニングが始まる頃の時間に来て、どれだけ言っても準備は中途半端。
また、トレーニングそのものも言われたメニューを良く言えば淡々とこなし、どう見ても抑揚のないパフォーマンスに終始し、トレーニングが終わったらダウンもいつも通りに流れでこなす。

中学生に限っては、親御さんに聞いてもボールを持って遊びに行く、自主トレに行くなんていう選手は皆無。

大学生においても、一部の上を目指したいと公言している選手にしても必死さというか、鬼気迫るものなど微塵もない。

サッカーというスポーツが、昔に比べメジャーなスポーツの仲間入りをし、誰しもが海外のサッカーを見られる時代になり、普通にトレーニングをこなせばそこそこになると勘違いし、上手くいかなくなれば諦めるというか、他に目が行く。
いわゆる負けず嫌いの子供が減り、そこまで苦しい思いをしなくても普通に過ごせる。
チャレンジも出来なければ、せめて派手さは無くてもコツコツと地道に努力を重ねてさえいけない。

このような中途半端な青年が多くなってきているように思えてならない。
われわれ指導者というか大人は、このような選手達に多くを語りかけ、何とか自分を確立する為の手助けをすべきであるとつくづく思う歳になった。
小崎 峰利

2025年4月17日木曜日

スプリント

ここぞという場面のスプリントをするかしないか、できるかできないか。

このスプリントの大事さを、スプリントする選手以外もしっかり理解しているかどうか。

スプリントさせる事もチーム力。

スプリントした後、結果的に上手くいかなかったとしても、スプリントしたことが必ずや報われてくることを我々指導者は理解させなくてはいけない。
ショートスプリント、ミドルスプリント、ロングスプリント、いかなるスプリントもチーム力として蓄積される。

スプリントは、攻撃にも守備にも必要。
ボールに関わる選手のみのスプリントでは物足りない。
攻撃でも守備でもスプリントする枚数が増えれば、二重にも三重にも厚さは増す。

単純なことではあるが、これが出来ないんだな。
小崎 峰利

2025年3月12日水曜日

基本練習

基本練習のクオリティが疎かになっている。 
というか、最近大学生の基本トレーニングを見ていると3種類のクオリティに気がつく。

例えば、フィジカル要素、ボールコントロール、なおかつキックのクオリティを上げる為の複合的なトレーニングを実施する。

その3要素の意図を理解して、更に効果をイメージしてトレーニングできる選手。
フィジカル要素を含んだトレーニングもそれなりにやってはいるが、ただ普通にやっている選手。
ボールコントロール要素についても、止めどころや止め方を何気にやっている選手。
キックも、ただ蹴っているだけの選手。

はたまた、全てに関して、とにかく一生懸命やる選手。
この一生懸命は大事なことではあるが、硬くなってしまってぎごちなく、リラックスできてない。また頭は使ってなく、考えながらのトレーニングになっていない。

基本トレーニングと言えども、考えて取り組む事が肝要である。
小崎 峰利

2025年2月21日金曜日

歳の取り方

JFAニュース2025年1月号で興味深い記事(サッカー讃歌、美しいサッカーを)を読んだ。 
帝京長岡高校総監督である谷口さんの記事。 

育成年代という前提であるが、レフェリーのジャッジに一切異議を唱えず、はたまた自チームに有利となる判定が下された場合、それがプレーヤー本人しか分からない真実をレフェリーに伝え、自チームが不利になっても正直に申告する。 

どんなジャッジにも不平を言わず次のプレーに切り替える。
勝敗の結果にかかわらず、最後にレフェリーをリスペクトしてゲームを終わる。 

当然ながら、谷口さん自身も勝利を目的としていたので、昔はレフェリーに対しても不平不満を言っていた自分がいたが、最近は帝京長岡高校のそのような振る舞いが身に付いてきたとおっしゃっている。

「心美しく勝つ」 

我がチームは「品格を持って大人と為す」
全くの同感である。

私が言うのも変だが、彼も良い歳の取り方をしているなあと感じた記事である。
小崎 峰利 

2025年1月21日火曜日

練習参加

近年、大学の練習参加に来る高校生が増えてきた。有名高校の選手、また無名高校の選手、大学サッカーというより、当たり前に上を目指したいという選手が多い。

練習参加を終えて感想を聞くと、強度も高く、スピードも早いのでキツかった、また技術が高いと感じました、などとそれなりに的を得ている。

そのような選手達に対して必ず言うことがある。

ここの大学(チーム)もまだまだだよ。
違いを感じられた事が1番で、その違いをどのように埋めていったらいいのか、自分で考え、スタッフに問い掛け、努力をしてこの大学(チーム)にきて!
もっと伸びるようにしてあげるから。
もっと大人にしてあげるから。
ただ、アドバイスはするけど、実践して身につけるのは貴方だよ。

先輩達も同じように言って入ってきているが、練習参加の時に感じた事を本当に受け止める事が出来ず、ダラダラとした学生生活とサッカー生活をする選手が多い年代はチームもレベルアップできない。

その感覚の選手が少なくなってきたゆえに、ようやく上を目指せるようになってきた。

これからも、フレッシュな選手が、フレッシュなまま、上を目指せる空気感を保てる努力をしたいと考える老指導者でした。
小崎 峰利

2024年12月27日金曜日

サッカーを楽しむ

 最近、サッカーや他競技のプロ選手が、メディアのインタビューなどで「上手くなる秘訣は?」という問いに対して、”楽しむべきである”という言葉がよく出てくる。
もちろん、”楽しむべき”と私も思うのだが、”楽しむ”の定義は人それぞれである。 

プロサッカー選手が考える”楽しむ”という感覚を、育成年代の選手に対してどのように教えていくのか?

幼少年代の”楽しむ”は、歳を重ねた私にもよく分かる。
ボールを触ったり、ドリブルをしたり、リフティングの回数が増えて楽しい。
ゲームをしてシュートが入って勝てば楽しい、などなど。

ただ、競技サッカーとして強化のレベルにおいての”楽しむ”をどのように理解させるのか? 
非常に難しく感じる。
近代サッカーは、ハードワークが当たり前。
ハードワークも楽しい、プレスバックも楽しい、カウンターでのロングスプリントも楽しい。

サッカーに限らず全ての競技において、上手くなりたい、強くなりたいと思い、その思いに向かってるプロセスそのものを、どんなに苦しくても楽しいと感じられる事が、”究極に楽しむ”ことなのではないかと考える。 

勝つか負けるかは、”楽しさ”の先に来るものと理解できれば、トレーニングのクオリティは上がると思っている。

 我々指導者は、サッカー競技における”本当の楽しさ”をどのように理解させる事ができるかが、とても重要なポイントになるはずである。
小崎 峰利

2024年11月13日水曜日

物言い

以前”話の術”というテーマで少し話をしたが、最近私の近くの熱いコーチを見ていると、本当に感心するぐらい熱心にコーチングをしている。

しかしながら、少し引っかかる事があるというか、違和感を覚える時がある。

自分自身では分からないだろうが、自分が辿ってきた道が基本だとすると、それを基本にコーチングをする。
出来て当たり前なのか、出来ないから教えるのか?勿論出来ないから教えるのである。
また、その中において、自身で考え判断することも要求する。

ただ物理的な事はやらないとそのレベルまで絶対にいかない。
パススピードしかり、止める事しかり、キックしかり、そこは意識して出来るように言う。

その時の物言いに違和感を感じる。

聴く側がなるほどと思い、納得するための物言いにはほど遠い。
やって当たり前だろ、やらないといけないだろ、とキツい物言いがやたら出てくる。

選手の歳が若ければ若いほど、これは考えなければいけない。

最近は大学生でも言葉に敏感というか、言葉に臆病な選手が多い。
時代背景なのか、教育現場の環境なのか、家庭での環境なのか、もう少し物言いのスキルを身につけないと、身に付かせようと思っても身につかない選手が沢山出るような気がしてならない。
勿論本物は残るが、本物になる途中で挫折もあり得る。

どちらが良いのか?
とにかく物言いは勉強しよう。

若い指導者よ。
選手の心に響き、頭に残る物言いを習得しよう。
自分のコーチングを録音して、後で聞いてみると良い。
意外とキツいぞ。
小崎 峰利