2024年2月27日火曜日

これぐらいでイイヤ

若い選手は「これぐらいでイイヤ」という考えで判断することも多い。

これは物事に対して厳しさを持って教えられない時代なのか、はたまた社会生活における善悪の基準が変化してきたのか。

サッカーにおいては、危険なポジションや有利なポジションを細かく指導しても「これぐらいでイイヤ」という考えでその場が過ぎていく。

その事を厳しい指導で徹底させられない場合もある。
厳しく指導して、それが自分やチームに返ってくるという理屈を頭では分かっても、徹底して自分に落とし込めない。

このような考えでサッカーもやっていくんだろうか?

このような感覚で自分の人生も生きていくんだろうか?

勿体ない。

やっぱり「これぐらいでイイヤ」は、やめておこう。
小崎 峰利

2024年2月14日水曜日

刺さるのではなく、浸透させる

最近色々な指導者のベンチワークやトレーニングにおける指導場面を見ることが多くなってきた。

昔は自分もこうだったのかな?と振り返ったり、反省したりというより、気になり出したのかなと思う。

我々指導者は、選手よりも経験が多い。
指導者のサッカー人生のレベルや、濃淡によって要求や指摘も変わってくるはず。

しかしながら、聞いているとヒステリックな口調で指摘をしたり、要求をしている場面を見ることがある。
全ての指導者が同じことを言っている訳ではないが、基本的なことに関しては同じことを指摘したり、要求する場面があると思う。
その時に、その言葉の発し方が刺さってしまう口調がどうしても気になる。

刺さってはダメ、心に浸透する口調で表現をしないと選手は落ちていくばかりである
これは、指導対象選手の年代が下に行けば行くほど顕著に出てくるので、気をつけさせたいものである。
小崎 峰利

2024年1月10日水曜日

本能と知能

大学生を指導するようになって、つくづく思う。
本能だけでサッカーをやっている選手が、何と多いことか。

見た目のスキルはそんなに変わらないのに、ゲーム中に相手がボールを動かすことには意図があって動かしているのにもかかわらず、本能のみで動いてまんまと罠にハマってしまう。

いくら説明しても同じことを繰り返してしまう。

今までのサッカー人生の中で、知能を伸ばす為のトレーニングであっても本能だけでくぐり抜けてきた選手がいかに多いことか。

これからの人生は、本能だけで生きていけない。
本能を生かしながら知能をと知性を磨いていかなくては、豊かな人生を送ることは難しい。

サッカーにおいても普段から考える習慣を身につけられるように過ごしていくことが必要。
若人よ頑張れ!
小崎 峰利

2023年11月27日月曜日

悔しい

「また負けて―」
辱めを受けたり、自分の無力を思い知らされたりして、腹立たしく残念だ。

「悔しい」の意味を調べると、このように出てくる。最近は、この感情を持つ子供がかなり少なくなってきているように思えてならない。

「悔しい」という感情を持つ場面が時代背景も含めて少なくなってきている。

個人の持つ感情としても悔しいという遺伝子が退化というか少なくなってきているかもしれない。

また、「悔しい」と思う場面にしても人それぞれかもしれないが、カタールワールドカップアジア最終予選に怪我のため離脱した吉田選手は、負けて悔しいというよりも、怪我で出られないことの悔しさが相当なものであり、自分がこの時期に怪我をしてしまった事に対して悔しいという感情を顕にしている。

この事は、私の育成年代への話の中において「悔しさ」の新たな事例として加わる事になった。

吉田選手はやはり素晴らしいキャプテンである。

彼の中学生(グランパスJr.ユース)時代に名古屋FCと戦った事もあり、何となく身近に感じられて嬉しい限りである。

小崎 峰利

2023年10月30日月曜日

悲壮感

厳しいトレーニングをすると険しい顔つきになり、コーチがトーンの高い声で指摘をすると、なぜ選手は悲壮感が漂う顔になるのか?

これは、指導者、選手とも両方に責任があるのではないか。

選手は、いつも怒られていると感じているのだと思う。
でも、それはコーチング側の指摘の手法に問題があるのかもしれない

親に叱られっぱなしの子供は叱られることが常態化していて、なぜ叱られているのか意味不明な状態が続く。

トレーニングの現場で、一生懸命やっているのに悲壮感が漂う事がままある。
苦しい場面でこそ、厳しくも明るい雰囲気にさせられる選手であり、また、指導者でありたいものである。
小崎 峰利

2023年10月12日木曜日

サッカーは難しい

どこのポジションでボールを受けるか?

この問題一つをとっても、ボールホルダーに対して他の味方の位置、敵の位置、はたまたその位置よりもよりゴールに近い位置があるのではないか。

また、相手ボールの時、どの相手にボールが渡りそうか、それによって相手にプレスをかけやすいポジションを取る。

はたまたこのスペースは消しておかないと危ないな。などなど頭を使いながら相手と味方を見ながら予測の元にポジション取りをしなくてはいけない。

さあ、実際にポジション取りが何気に合理的になってきたとしても、自分の味方から良いポジションでボールを受けたとして、止めるミスをしました。

また、自分がボールホルダーで、味方が相手から見たらかなり危険なポジションを取ってくれています。
さあ、パスを出しました。
ミスパスになってしまい、相手にボールが渡ってしまいました。

相手にボールが渡りそうです。
良いポジショニングからプレスが出来ました。
ただ、奪い方が下手で奪えませんでした。
残念な結果です。

どちらにしても、たとえ良いポジションを取ったとしても、そのポジションが活かされるスキルが必要です。
どちらもバランス良く身につけさせなくてはなりません。

あぁ、やっぱりサッカーは難しい。
小崎 峰利

2023年9月11日月曜日

指導

我々指導者は、できないことをできるようにしてあげるのが最初の仕事。

選手間のコーチングもそう。
できないことをできないと指摘することではなく、できないことをできるようにしてあげるのがコーチング。

最近外から現場を眺めていると、できないことに苛立ち、指導が指導ではなくなったり、コーチングがコーチングではなくなったりする場面を目にする。

このような状況においては、指導しているとは言い難い。
育成年代であれば、なおさらである。
カテゴリーの年代が下がれば下がるほどに、より丁寧な指導、レベルに応じたコーチングが必要である。

全てのカテゴリーを見てきた経験からすると、同じことを指導するにも何百、何千の言葉の引き出しが必要かもしれない。

指導の奥深さを更に考えることにする。
小崎 峰利