2025年3月12日水曜日

基本練習

基本練習のクオリティが疎かになっている。 
というか、最近大学生の基本トレーニングを見ていると3種類のクオリティに気がつく。

例えば、フィジカル要素、ボールコントロール、なおかつキックのクオリティを上げる為の複合的なトレーニングを実施する。

その3要素の意図を理解して、更に効果をイメージしてトレーニングできる選手。
フィジカル要素を含んだトレーニングもそれなりにやってはいるが、ただ普通にやっている選手。
ボールコントロール要素についても、止めどころや止め方を何気にやっている選手。
キックも、ただ蹴っているだけの選手。

はたまた、全てに関して、とにかく一生懸命やる選手。
この一生懸命は大事なことではあるが、硬くなってしまってぎごちなく、リラックスできてない。また頭は使ってなく、考えながらのトレーニングになっていない。

基本トレーニングと言えども、考えて取り組む事が肝要である。
小崎 峰利

2025年2月21日金曜日

歳の取り方

JFAニュース2025年1月号で興味深い記事(サッカー讃歌、美しいサッカーを)を読んだ。 
帝京長岡高校総監督である谷口さんの記事。 

育成年代という前提であるが、レフェリーのジャッジに一切異議を唱えず、はたまた自チームに有利となる判定が下された場合、それがプレーヤー本人しか分からない真実をレフェリーに伝え、自チームが不利になっても正直に申告する。 

どんなジャッジにも不平を言わず次のプレーに切り替える。
勝敗の結果にかかわらず、最後にレフェリーをリスペクトしてゲームを終わる。 

当然ながら、谷口さん自身も勝利を目的としていたので、昔はレフェリーに対しても不平不満を言っていた自分がいたが、最近は帝京長岡高校のそのような振る舞いが身に付いてきたとおっしゃっている。

「心美しく勝つ」 

我がチームは「品格を持って大人と為す」
全くの同感である。

私が言うのも変だが、彼も良い歳の取り方をしているなあと感じた記事である。
小崎 峰利 

2025年1月21日火曜日

練習参加

近年、大学の練習参加に来る高校生が増えてきた。有名高校の選手、また無名高校の選手、大学サッカーというより、当たり前に上を目指したいという選手が多い。

練習参加を終えて感想を聞くと、強度も高く、スピードも早いのでキツかった、また技術が高いと感じました、などとそれなりに的を得ている。

そのような選手達に対して必ず言うことがある。

ここの大学(チーム)もまだまだだよ。
違いを感じられた事が1番で、その違いをどのように埋めていったらいいのか、自分で考え、スタッフに問い掛け、努力をしてこの大学(チーム)にきて!
もっと伸びるようにしてあげるから。
もっと大人にしてあげるから。
ただ、アドバイスはするけど、実践して身につけるのは貴方だよ。

先輩達も同じように言って入ってきているが、練習参加の時に感じた事を本当に受け止める事が出来ず、ダラダラとした学生生活とサッカー生活をする選手が多い年代はチームもレベルアップできない。

その感覚の選手が少なくなってきたゆえに、ようやく上を目指せるようになってきた。

これからも、フレッシュな選手が、フレッシュなまま、上を目指せる空気感を保てる努力をしたいと考える老指導者でした。
小崎 峰利

2024年12月27日金曜日

サッカーを楽しむ

 最近、サッカーや他競技のプロ選手が、メディアのインタビューなどで「上手くなる秘訣は?」という問いに対して、”楽しむべきである”という言葉がよく出てくる。
もちろん、”楽しむべき”と私も思うのだが、”楽しむ”の定義は人それぞれである。 

プロサッカー選手が考える”楽しむ”という感覚を、育成年代の選手に対してどのように教えていくのか?

幼少年代の”楽しむ”は、歳を重ねた私にもよく分かる。
ボールを触ったり、ドリブルをしたり、リフティングの回数が増えて楽しい。
ゲームをしてシュートが入って勝てば楽しい、などなど。

ただ、競技サッカーとして強化のレベルにおいての”楽しむ”をどのように理解させるのか? 
非常に難しく感じる。
近代サッカーは、ハードワークが当たり前。
ハードワークも楽しい、プレスバックも楽しい、カウンターでのロングスプリントも楽しい。

サッカーに限らず全ての競技において、上手くなりたい、強くなりたいと思い、その思いに向かってるプロセスそのものを、どんなに苦しくても楽しいと感じられる事が、”究極に楽しむ”ことなのではないかと考える。 

勝つか負けるかは、”楽しさ”の先に来るものと理解できれば、トレーニングのクオリティは上がると思っている。

 我々指導者は、サッカー競技における”本当の楽しさ”をどのように理解させる事ができるかが、とても重要なポイントになるはずである。
小崎 峰利

2024年11月13日水曜日

物言い

以前”話の術”というテーマで少し話をしたが、最近私の近くの熱いコーチを見ていると、本当に感心するぐらい熱心にコーチングをしている。

しかしながら、少し引っかかる事があるというか、違和感を覚える時がある。

自分自身では分からないだろうが、自分が辿ってきた道が基本だとすると、それを基本にコーチングをする。
出来て当たり前なのか、出来ないから教えるのか?勿論出来ないから教えるのである。
また、その中において、自身で考え判断することも要求する。

ただ物理的な事はやらないとそのレベルまで絶対にいかない。
パススピードしかり、止める事しかり、キックしかり、そこは意識して出来るように言う。

その時の物言いに違和感を感じる。

聴く側がなるほどと思い、納得するための物言いにはほど遠い。
やって当たり前だろ、やらないといけないだろ、とキツい物言いがやたら出てくる。

選手の歳が若ければ若いほど、これは考えなければいけない。

最近は大学生でも言葉に敏感というか、言葉に臆病な選手が多い。
時代背景なのか、教育現場の環境なのか、家庭での環境なのか、もう少し物言いのスキルを身につけないと、身に付かせようと思っても身につかない選手が沢山出るような気がしてならない。
勿論本物は残るが、本物になる途中で挫折もあり得る。

どちらが良いのか?
とにかく物言いは勉強しよう。

若い指導者よ。
選手の心に響き、頭に残る物言いを習得しよう。
自分のコーチングを録音して、後で聞いてみると良い。
意外とキツいぞ。
小崎 峰利

2024年10月2日水曜日

褒めて伸ばす

最近の傾向として”褒めて伸ばす”ということがよく言われる。

確かに褒めることは良いこと。
褒められれば嬉しいし、またやろうという気にもなる。

しかしながら、なぜ褒められているのかという本質的なことを理解できない選手もいる。
それは、結果だけを単純に褒めているからである。

大学生にもなれば、結果よりプロセスを褒めることで、その後の結果を産むというプロセス自体の理解にも繋がる。

大学生には、学校生活や社会生活の中に褒められてもよい行動などがいくらでも存在するという話をする。
学校生活を含む社会生活の中において、あいさつ然り、ゴミ拾い然り、予測と配慮然り、これらの行動が直接的に褒められる機会は少ないかもしれないが、必ず誰かが見ていてくれて自分の将来に繋がっているはずである。

時間を経て自分達に褒め言葉が返って来た時に、褒められることの実感とそのプロセスの大事さを知ることになる。
このような歩みが少なからず組織と自分を豊かにする。

”なぜ褒められているのか”という本質を具体的に理解させなければ、本当の意味で”褒めて伸ばす”ことにはならないのである。
小崎 峰利

2024年9月19日木曜日

話の術

私の周りには、有望か無謀か見極めにくい若い指導者が大勢いる。
熱心に自分の経験(レベルはともかく)、自分なりの勉強・ポリシーなどを背景として指導の現場に立っていると思われる。

指導の実践では、当然のことのように選手のレベルや状況によって話す内容はもちろん、話し方も言葉自体も変わってくるはずである。
しかしながら、客観的に見て、特に高いレベル(プロなど)や厳しいチームでプレーしてきた経験がある指導者ほど、「当たり前にできるもの」という前提で話をしたりコーチングをする傾向が強いと感じている。
そうすると、どういう事が起きるか。口調がキツくなり、怒ったような表現が多くなる。

分からなくもないが、言われた事がしっかり理解できていないのはもちろん、言われた事を充分に理解しようとしてプレーする選手ばかりではないのも現実である。
長い間教えてもらってきたはずだけど、実際は教えてもらっていない状態という選手が少なくないのである。

そのようなレベルの選手には「話の術」を駆使し、面倒ではあるがゆっくり丁寧に話をしていかないと、言われることに対するアレルギー反応をキッカケに不信や不満などが噴出してしまうケースが散見される。

現代の特に若い指導者は、選手のこれまでの教えられ方も把握したうえで、教えるための「話の術」を身に付ける必要があると感じる今日この頃である。

面倒な時代へ突入である。

小崎 峰利