2026年1月16日金曜日

チャレンジとリスク

人生を振り返る歳になると、色々と思う事、考える事、後悔する事。
 
自らの過去を省み、情けなさを感じつつも、今のサッカー選手(最近は大学生)を見ていると、どうしても感じてしまうことがある。それは、これからの社会人人生において、本当の意味で「チャレンジし続けられる」選手が少ないのではないか、ということだ。
 
せめてサッカーぐらいは、チャレンジして欲しいとつくづく思う。
 
劣勢が予想される試合でもリスクを恐れてチャレンジせず、その間にイージーなミスでボールを奪われ、ショートカウンターを喰らう。
劣勢が予想されれば、なおさらチャレンジして失敗して欲しい。 (チャレンジが上手くいけば最高ではあるが)
 
誰しも人生の失敗はしたくないので、安心安全を志向するのも頷ける。
 
しかしながら、サッカーにおいての失敗は、悔しさと楽しさが入り混じっているのである意味面白い。
 
確かに人生での失敗はしたくないものである。だからこそ、若いうちにサッカーという競技でチャレンジの醍醐味を味わい、人生の判断に役立てて欲しいと願う今日この頃である。
小崎 峰利

2025年12月4日木曜日

セレクト

これまで、数々のセレクションを見てきた。
セレクトする側、また、自分の教え子がセレクトされる側、両側から見てきた。

わずかな時間の中から見られるものとしては物理的なものが多い。
物理的なものといえば、背が高い、足が速い、テクニカル、身体が強いなどなど。(ポジショニング、視野の確保、危険察知などもう少し細かくはなると思うが)
しかしながら、それらはあくまでその時のストロングポイントであることを忘れてはならない。

セレクト後の成長度合いを考えると、一番大事なことは実直に成長しようと思うメンタリティである考える。
このポイントは、わずかな時間のセレクションからは見えづらい。
サッカーを終えた後の社会生活、更に仕事をしてお金を稼ぐということに至っては、誰でも当たり前に対応していかなくてはならないのではあるが、これがまた難しい。

まず最低でもコツコツ休まず働くなんて当たり前。
自分の都合を優先させる事も大事だが、優先順位や判断基準が分からない人が多くなる。

人生はいつもセレクトされているのが実情。
それを理解しつつ、今与えられた環境に対して真摯に取り組めることが何よりであると考える。
小崎 峰利

2025年11月13日木曜日

確実か不確実か

最近のサッカーは、当たり前のように確実なプレーを求められる。

もちろん状況にもよる。
スペースが無く、相手に囲まれてしまったような場面はともかくとして、後ろではなく前へのチャレンジボールだとしても、「無理ならやめる」というフレーズが育成年代、特に小中学生のカテゴリーでよく聞く。

選手がチャレンジして縦パスを入れたり、スルーパスを選択して失敗でもしようものなら先程の言葉が出てくる。

優先順位として縦パスを選択した訳なので、そこでの失敗の原因を考えさせる。
確かに失敗から相手のカウンターに繋がり失点はあり得るが、まずもって選手のチャレンジを悪としてはならないのではないかとたまに思う。

サッカーは不確実を伴うチャレンジが面白いのである。
小崎 峰利

2025年10月9日木曜日

年輪

色々な場面でサッカー観戦をする場面がある。
私の場合は育成年代のゲームやトレーニングがほとんど、というより100%小学生から大学生。

そんななか、その育成年代を教えている指導者の方に目線がいく事も多い。
コーチングの中味と外味を見聞していると、「なるほど」と思うことも多いのであるが、言い方にトゲがあるように感じることが少なからずある。

若い木は硬い(堅い?)。
だけど年輪が沢山ある木は柔らかい。

まさに歳を重ねた私は柔らかになってきた。
同時に若かりし自分を振り返ると、怖い監督とよく言われたがトゲは無かったなぁと自負することもある。

最近の若い指導者の物言いを聞いているとトゲがあり、余分な説明が多すぎる気がしてならない。

若くして年輪を多くすることはできない。
しかし、年輪が沢山ある人の物言いやリズム、早口よりもゆっくり目などなど、学ぶ事はきっと多いはず。
参考にされたし。
小崎 峰利

2025年9月18日木曜日

勝手なものだ

指導者の端くれとして、最近はチーム全体を俯瞰して観る立ち位置を取ることがほとんどとなってきた。

以前は自分で指示を出し、選手ができるようにと模索してトレーニングをしたり、出来なければ叱ったりながらやらせたりしてきて、それでも叱り過ぎてもダメと何となく思いながら、選手に対して噛み砕いて説明をして、また何故叱らなければいけないかを説いてきた。

私の場合は、プレーでできなかった事、すなわち技術的なミスやポジショニングのミスなどに対して叱ることは無く、ミスした後の行動、取り返しに行くとか、また皆で攻める、皆で守るという様な場面でもそれを意識的に出来ない、メンタルが頑張れなくてプレーを止めてしまうとかに対しては真剣に叱ってきた。

俯瞰して観る立ち位置において若き指導者を見ていると、ミスをしたり、出来ないことそのこと自体を叱る指導者を散見する。

常にポジティブに選手が出来るようにコーチングをしてもらいたいとつくづく思う。
出来ないから教える。
出来る人も出来ない人も混在しているのがチーム。

われわれ指導者、特に育成年代の指導者は、選手が出来るようになるために常にプラスになるコーチングをしなければいけない。

これも歳をとって経験が多くなって改めて強く感じる。
若い頃は客観的に観られず、熱さを全面に出してきた。

人間は本当に勝手なものだ。
すんなり受け入れられる選手もいたはずだが、心が折れた選手もいただろうに、と思う今日この頃である。

小崎 峰利

2025年8月21日木曜日

一瞬の輝き

アスリートは一瞬の輝きの為に、とんでもない時間を費やして努力をし続ける。

しかし、その一瞬の輝きが幾度となくあったとしても、それが勝利に結びつくとは限らない。

我々が取り組んでいるサッカーという競技に例えても、ある選手がとてつもない努力をしてきて90分の中で一瞬の輝きを放ったとしても、それが勝利に結びつかず、また、その輝きを一瞬の不真面目さやミスが消してしまう事もたくさんある。

スポーツは何と理不尽なことか。

だが、自分なり仲間達がそのミスを打ち消すような新たな輝きを放つことによって、勝利を手繰り寄せることができるのもチームスポーツの醍醐味であろう。
永遠ではない、たった90分。
この90分の中で勝敗は決まるのだ。

人生においても同じであろう。
ミスも失敗もあり、一瞬の輝きもあるはず、また、家族や仲間との関係、これが一生続くのである。
我々は一瞬の輝きの為に今日も頑張ろう。
小崎 峰利

2025年7月11日金曜日

たまたま

トレーニングや試合でスーパーなプレーが出たり、スーパーなシュートが入ったりする。

スタッフもチームメイトも「たまたまだよな?」とか言い、「たまたまだよ」と皆が反応するシーンを目にする。

昔から言ってきた。「たまたま」でも実力だよ。
結果としてスーパーな事をやったのであれば、それは紛れもない実力である。
実力もないのにスーパーなプレーができるはずがない。

「たまたま」とならないようトレーニングをし続ければ確実にそれが身につき、その選手にとって「たまたま」ではなくなるはずだ、と言ってきた。

それを「たまたま」で終わらせてしまう選手と、信じてトレーニングをし続けた選手の差が明らかになっていく現実を目の当たりにしてきた私としては、「たまたま」と言われる場面に遭遇したら、必ずそれは実力であるという事を強調し、その後のトレーニングに繋げる話をしている。

選手たちは騙されたような感覚の中でも、真剣に取り組むことで「たまたま」が「常に」に変わると信じている。
小崎 峰利