2018年6月8日金曜日

意識と無意識

選手に色々な事を教える。

教えて貰った事柄を”意識しながら”トレーニングしているかどうかは、指導者がその後のトレーニングを”意識して”観察していると一目瞭然でわかる。

どのカテゴリーでもそうだが、”意識して”トレーニングをしている選手が少ない。
どんなトレーニングでも、ポイントを”意識して”行わなければ上手くなるはずもない。

「上手いね」と言われる選手は元々上手い。
しかし、その後の成果は先の”意識した”トレーニングの回数で上達の度合いが変わってくる。

先ずもって”頭の中が動くかどうか”、これが優先。

指導者は、目に見えないことを教えることの方が難しい。
小崎 峰利

2018年5月24日木曜日

指導者のあるべき姿

残念な出来事が起こった。

今、世間の注目を集めている日大アメリカンフットボール部での出来事

指導者はある意味、演出家であると考えている。

学生スポーツの真の目的は、人間性を養うことである。自分自身で到達できない領域でも、そこに行き着く選手が必ずいることを信じ、かつ、勝利も追及しながら、一番大事なところを優先するのが指導者の義務。

昔だったら、ピッチの中に入って引きずり出した上で叱咤していた。

現在でも引きずり出し、叱咤の代わりに毎日話をし続け、事の良し悪しを知らしめる。
このようなことを理解させ土台にしなければスポーツは極められない。また社会においても通用しなくなってくる。

見る限り当該学生の心根は非常に優しく、真面目な選手ではないかと推測する。

経験上、あのような選手は真面目に取り組み人から後ろ指をさされないように人生を歩むか、虚勢をはり吠えながら進むかのどちらかが多いと考える。
そのような心根の優しい選手を、あのような行為に走らせた指導者は悪である。

闘うことは大事で、それを教えるには大変な労力と根気が必要であるが、方法はある。
実際の指導の現場では、毎日のように説法を繰り返し、頭で学ばせ、心で感じさせる、とてつもないエネルギーを注ぎ込まなくてはいけない。
この事を怠ると本物は育たない。

指導者が間違った事を教えれば、その集団(チーム)は必ず間違った方向に進むであろう。
小崎 峰利

2018年5月9日水曜日

感情のコントロール

怒られると「やだな、うるさいな」、誉められると「やった、うれしいな」という感情がまず生まれる。

サッカーシーンや勉強を含む学校生活の中において、”なぜ怒られ””なぜ誉められた”をよく理解できず、次に進んでしまう場面がいかに多いか。
その時の感情が優先して、”行為”や”理屈”が抜けている。

感情をコントロールできるだけの”理性”や”知性”を養うための説明がないと、子供達は色々な能力によって差が出てくる。

この差は必ずあるが、”解説”と”説明”によって差は縮められるはず。

教えすぎは良くないと言うが、”理屈”は教えてあげないと進歩するものも進歩しないということになる。
小崎 峰利

2018年4月2日月曜日

予測と配慮

”予測と配慮”

座右の銘と言い始めて何年になるだろうか?

かなり昔、昔と言ってもサッカーを教え始めて間もない20年近く前、自分の感覚でパスを出す選手に「受け手のスピードや状況を予測したらもう少し足元寄りのパスの方がいいんじゃない?」「もう少し優しくグラウンダの方が良くない?」というコメントを沢山したことを思い出す。

そのあたりから、「そのパス思いやりないよね。」「そのパス味方にとって優しくないよね。」「もう少し味方は足が速い」「相手が寄せて来そうだ」「もう少し予測をして、そこに配慮というか思いやりがあるともっといいよな。」などなど・・・・・・。

それから、”予測をする”という頭の中の訓練が必要であると考え、「学校生活など日々の生活の中において色々な予測をして、その先にちょっとした配慮や思いやりのある言動を心がけなさい。」ということを常々言ってきた。

横断歩道で信号が変わりそうだけど渡り始めようとしているおばあちゃんにさりげなく「信号赤になりますよ。」と声をかけてあげたり、マンションに住んでいるのであれば、エレベーターに乗って上がるタイミングで後から来た人を見かけたら、自分の階で降りてから1階のボタンを押してエレベーターを下ろしてあげるとか・・・・・・。

これぐらいのことは当たり前のことではあるが、昨今の育成年代の選手は意外とと出来ない。

日々の生活の中において”予測と配慮”を行えばサッカーシーンに繋がると思い、私と関わるすべての選手には”予測と配慮”としつこく言っている。

私も日々色々な予測をしながら、少しでも配慮出来るよう心がけている。
小崎 峰利

2018年2月16日金曜日

20周年

20年という歴史を振り返ってみるとあっという間に過ぎたような気がする。

名古屋FC20周年/名古屋FC EAST10周年記念式典には400名を越えるお客様に来て頂き、多くの方々に支えられてここまで来たことを実感した。

創立当初から変わらずやってきたことがある。また、全てのスタッフにも話をしてきたことがある。

それは、この育成年代は全ての選手が、それぞれの性格があり、それぞれを取り巻く環境があり、それぞれの考え方など、それぞれの基準が違う。

それを同じ方向を向かせ、それぞれの努力の基準を上げさせ、それぞれの能力の高低差があるなかで、諦めず努力を続ける大切さ、それぞれへの伝達方法を探して接してきた。

全スタッフにも十人十色を認識して、十通りの伝達方法を探せと説いてきた。

その結果、卒業しても継続し、また、OBとしてチームと繋がり続け、個々の結果を出してきたと感じる。

改めて多くの方々のお顔を拝見して、実践してきたことが間違ってなかったと感じた。

時代背景が変わってきたことは紛れもない事実ではあるが、育成年代の選手の指導には名古屋フットボールクラブが行ってきた、言葉は悪いが面倒くさいことをコツコツと続けることが何よりも大事であると思った。

今後も若いスタッフにこのような大切さを伝授し、名古屋フットボールクラブに縁のある全選手が、上手さ以上の大切なものを掴むことができ、少しでも上手い選手より良い選手になれるように今後も頑張っていきたいと思う。

小崎 峰利

2018年1月17日水曜日

間接視野

とにかく周りを見られない選手が多いことに、改めて気づく今日この頃である。

最近の育成年代におけるトレーニングの主流は、狭いスペースでのポゼッション。
どうしても近くの選手を見ることが多くなる。そうすれば判断材料も少なくなる。

また、味方をはっきり見た上でパスを出す。はっきり見ることで頭の上下動が起こる。
この一瞬の動作でタイミングが遅くなったり、リズムを悪くさせる。

もう少し間接的に全体を見る。
味方のユニフォームの色が沢山視野に入ってくれば選択肢も増える

視野を広げるため、”間接的に見る”という意識を持たせた上でトレーニングを行うことを薦めたい。

随分前にも書いた記憶があるが、見ることに特化したトレーニングをすることも大事である。

小崎峰利

2017年12月8日金曜日

上手い選手と良い選手

サッカーには色々なタイプの選手がいる。

育成年代において”上手い”と言われる選手は、地域にもたくさんいる。ただ、それは身体のバランスが良く、ボールタッチも上手く、スムーズにボールを運べる選手が上手いと評価される事が多い。

しかしながら、サッカーという複雑な要素が多々あるスポーツの中で、その上手さを発揮しなくてはいけない。その上で自己犠牲を払い、チームに対して貢献ができる、また、チームの為に他人にも自分にも厳しくなれること。

さらに、そういう努力を継続することができる選手が、将来”良い選手”に成長していく。

このベースは、ユース年代で確立されることが多いが、”上手い選手”を目指す選手や”上手い選手”に期待する保護者が多いのが現実。

”上手い選手”より”良い選手”を目指させる原点はジュニアユースに有り

チームの選手には常に言っている。

『上手い選手より良い選手を目指せ!』

小崎 峰利