2024年4月18日木曜日

有意識運動

有酸素運動という言葉はすでに定着をして、幅広い年齢層が有酸素運動をするようになった。

小中学生を中心とした育成年代の指導が長く、スキルトレーニングを多く経験してきたなかで、大学生を指導するようになってから、単純なパス、コントロールのトレーニングをやってみて最近特に思うことがある

単純なパスコンのトレーニングにもポイントをしっかり押さえて、なおかつクオリティにもこだわったりしっかりとした意識の上にトレーニングが行われてきていない現実が多くあるように思う。

確かに反復練習をさせてきたが、しっかりとした意識を持った上でやってこなかった選手のいかに多いことか。

今思えば、とにかく基本をしっかりやりましょうとかなりのくどさで指導をしてきた。
その中にも必ず精度、クオリティ、はたまた対人トレーニングにおいても、細かい指示に対して頭の中で必ず意識した上でトレーニングするようにと言ってきた。

これが「有意識運動」の意味である。
小崎 峰利

2024年3月25日月曜日

学びの心得

最近思うことがある。

サラリーマン時代、研修や先輩との同行営業などなど、学ぶことが多々あった。
振り返ってみて、研修においてはプリントを配られてよく読んでおくようにと言われ、同行営業においては先方の一言一言を出来るだけ頭に入れておくように心がけ、気がついた言葉などは手帳にメモをし、自分なりに学んできた記憶がある。

その事を前提に現在の選手を見ていると、上辺だけの情報収集で学んだ気になっていることがほとんどである
学校の授業でも、ピッチ上においてコーチが話す内容もしかり、聞いているようで聞いていない。
中身をしっかり深掘りすれば、もっと吸収力が高くなるはずである。

社会人になっても同じである。
注意力散漫な人ほど、分かっているようで分かっていない。
凡ミスはこのような事から起こる。

やはり、学びの心得をしっかりとつかんでから、前に進んでほしいと心から願う。
小崎 峰利

2024年2月27日火曜日

これぐらいでイイヤ

若い選手は「これぐらいでイイヤ」という考えで判断することも多い。

これは物事に対して厳しさを持って教えられない時代なのか、はたまた社会生活における善悪の基準が変化してきたのか。

サッカーにおいては、危険なポジションや有利なポジションを細かく指導しても「これぐらいでイイヤ」という考えでその場が過ぎていく。

その事を厳しい指導で徹底させられない場合もある。
厳しく指導して、それが自分やチームに返ってくるという理屈を頭では分かっても、徹底して自分に落とし込めない。

このような考えでサッカーもやっていくんだろうか?

このような感覚で自分の人生も生きていくんだろうか?

勿体ない。

やっぱり「これぐらいでイイヤ」は、やめておこう。
小崎 峰利

2024年2月14日水曜日

刺さるのではなく、浸透させる

最近色々な指導者のベンチワークやトレーニングにおける指導場面を見ることが多くなってきた。

昔は自分もこうだったのかな?と振り返ったり、反省したりというより、気になり出したのかなと思う。

我々指導者は、選手よりも経験が多い。
指導者のサッカー人生のレベルや、濃淡によって要求や指摘も変わってくるはず。

しかしながら、聞いているとヒステリックな口調で指摘をしたり、要求をしている場面を見ることがある。
全ての指導者が同じことを言っている訳ではないが、基本的なことに関しては同じことを指摘したり、要求する場面があると思う。
その時に、その言葉の発し方が刺さってしまう口調がどうしても気になる。

刺さってはダメ、心に浸透する口調で表現をしないと選手は落ちていくばかりである
これは、指導対象選手の年代が下に行けば行くほど顕著に出てくるので、気をつけさせたいものである。
小崎 峰利

2024年1月10日水曜日

本能と知能

大学生を指導するようになって、つくづく思う。
本能だけでサッカーをやっている選手が、何と多いことか。

見た目のスキルはそんなに変わらないのに、ゲーム中に相手がボールを動かすことには意図があって動かしているのにもかかわらず、本能のみで動いてまんまと罠にハマってしまう。

いくら説明しても同じことを繰り返してしまう。

今までのサッカー人生の中で、知能を伸ばす為のトレーニングであっても本能だけでくぐり抜けてきた選手がいかに多いことか。

これからの人生は、本能だけで生きていけない。
本能を生かしながら知能をと知性を磨いていかなくては、豊かな人生を送ることは難しい。

サッカーにおいても普段から考える習慣を身につけられるように過ごしていくことが必要。
若人よ頑張れ!
小崎 峰利

2023年11月27日月曜日

悔しい

「また負けて―」
辱めを受けたり、自分の無力を思い知らされたりして、腹立たしく残念だ。

「悔しい」の意味を調べると、このように出てくる。最近は、この感情を持つ子供がかなり少なくなってきているように思えてならない。

「悔しい」という感情を持つ場面が時代背景も含めて少なくなってきている。

個人の持つ感情としても悔しいという遺伝子が退化というか少なくなってきているかもしれない。

また、「悔しい」と思う場面にしても人それぞれかもしれないが、カタールワールドカップアジア最終予選に怪我のため離脱した吉田選手は、負けて悔しいというよりも、怪我で出られないことの悔しさが相当なものであり、自分がこの時期に怪我をしてしまった事に対して悔しいという感情を顕にしている。

この事は、私の育成年代への話の中において「悔しさ」の新たな事例として加わる事になった。

吉田選手はやはり素晴らしいキャプテンである。

彼の中学生(グランパスJr.ユース)時代に名古屋FCと戦った事もあり、何となく身近に感じられて嬉しい限りである。

小崎 峰利

2023年10月30日月曜日

悲壮感

厳しいトレーニングをすると険しい顔つきになり、コーチがトーンの高い声で指摘をすると、なぜ選手は悲壮感が漂う顔になるのか?

これは、指導者、選手とも両方に責任があるのではないか。

選手は、いつも怒られていると感じているのだと思う。
でも、それはコーチング側の指摘の手法に問題があるのかもしれない

親に叱られっぱなしの子供は叱られることが常態化していて、なぜ叱られているのか意味不明な状態が続く。

トレーニングの現場で、一生懸命やっているのに悲壮感が漂う事がままある。
苦しい場面でこそ、厳しくも明るい雰囲気にさせられる選手であり、また、指導者でありたいものである。
小崎 峰利