2024年12月27日金曜日

サッカーを楽しむ

 最近、サッカーや他競技のプロ選手が、メディアのインタビューなどで「上手くなる秘訣は?」という問いに対して、”楽しむべきである”という言葉がよく出てくる。
もちろん、”楽しむべき”と私も思うのだが、”楽しむ”の定義は人それぞれである。 

プロサッカー選手が考える”楽しむ”という感覚を、育成年代の選手に対してどのように教えていくのか?

幼少年代の”楽しむ”は、歳を重ねた私にもよく分かる。
ボールを触ったり、ドリブルをしたり、リフティングの回数が増えて楽しい。
ゲームをしてシュートが入って勝てば楽しい、などなど。

ただ、競技サッカーとして強化のレベルにおいての”楽しむ”をどのように理解させるのか? 
非常に難しく感じる。
近代サッカーは、ハードワークが当たり前。
ハードワークも楽しい、プレスバックも楽しい、カウンターでのロングスプリントも楽しい。

サッカーに限らず全ての競技において、上手くなりたい、強くなりたいと思い、その思いに向かってるプロセスそのものを、どんなに苦しくても楽しいと感じられる事が、”究極に楽しむ”ことなのではないかと考える。 

勝つか負けるかは、”楽しさ”の先に来るものと理解できれば、トレーニングのクオリティは上がると思っている。

 我々指導者は、サッカー競技における”本当の楽しさ”をどのように理解させる事ができるかが、とても重要なポイントになるはずである。
小崎 峰利

2024年11月13日水曜日

物言い

以前”話の術”というテーマで少し話をしたが、最近私の近くの熱いコーチを見ていると、本当に感心するぐらい熱心にコーチングをしている。

しかしながら、少し引っかかる事があるというか、違和感を覚える時がある。

自分自身では分からないだろうが、自分が辿ってきた道が基本だとすると、それを基本にコーチングをする。
出来て当たり前なのか、出来ないから教えるのか?勿論出来ないから教えるのである。
また、その中において、自身で考え判断することも要求する。

ただ物理的な事はやらないとそのレベルまで絶対にいかない。
パススピードしかり、止める事しかり、キックしかり、そこは意識して出来るように言う。

その時の物言いに違和感を感じる。

聴く側がなるほどと思い、納得するための物言いにはほど遠い。
やって当たり前だろ、やらないといけないだろ、とキツい物言いがやたら出てくる。

選手の歳が若ければ若いほど、これは考えなければいけない。

最近は大学生でも言葉に敏感というか、言葉に臆病な選手が多い。
時代背景なのか、教育現場の環境なのか、家庭での環境なのか、もう少し物言いのスキルを身につけないと、身に付かせようと思っても身につかない選手が沢山出るような気がしてならない。
勿論本物は残るが、本物になる途中で挫折もあり得る。

どちらが良いのか?
とにかく物言いは勉強しよう。

若い指導者よ。
選手の心に響き、頭に残る物言いを習得しよう。
自分のコーチングを録音して、後で聞いてみると良い。
意外とキツいぞ。
小崎 峰利

2024年10月2日水曜日

褒めて伸ばす

最近の傾向として”褒めて伸ばす”ということがよく言われる。

確かに褒めることは良いこと。
褒められれば嬉しいし、またやろうという気にもなる。

しかしながら、なぜ褒められているのかという本質的なことを理解できない選手もいる。
それは、結果だけを単純に褒めているからである。

大学生にもなれば、結果よりプロセスを褒めることで、その後の結果を産むというプロセス自体の理解にも繋がる。

大学生には、学校生活や社会生活の中に褒められてもよい行動などがいくらでも存在するという話をする。
学校生活を含む社会生活の中において、あいさつ然り、ゴミ拾い然り、予測と配慮然り、これらの行動が直接的に褒められる機会は少ないかもしれないが、必ず誰かが見ていてくれて自分の将来に繋がっているはずである。

時間を経て自分達に褒め言葉が返って来た時に、褒められることの実感とそのプロセスの大事さを知ることになる。
このような歩みが少なからず組織と自分を豊かにする。

”なぜ褒められているのか”という本質を具体的に理解させなければ、本当の意味で”褒めて伸ばす”ことにはならないのである。
小崎 峰利

2024年9月19日木曜日

話の術

私の周りには、有望か無謀か見極めにくい若い指導者が大勢いる。
熱心に自分の経験(レベルはともかく)、自分なりの勉強・ポリシーなどを背景として指導の現場に立っていると思われる。

指導の実践では、当然のことのように選手のレベルや状況によって話す内容はもちろん、話し方も言葉自体も変わってくるはずである。
しかしながら、客観的に見て、特に高いレベル(プロなど)や厳しいチームでプレーしてきた経験がある指導者ほど、「当たり前にできるもの」という前提で話をしたりコーチングをする傾向が強いと感じている。
そうすると、どういう事が起きるか。口調がキツくなり、怒ったような表現が多くなる。

分からなくもないが、言われた事がしっかり理解できていないのはもちろん、言われた事を充分に理解しようとしてプレーする選手ばかりではないのも現実である。
長い間教えてもらってきたはずだけど、実際は教えてもらっていない状態という選手が少なくないのである。

そのようなレベルの選手には「話の術」を駆使し、面倒ではあるがゆっくり丁寧に話をしていかないと、言われることに対するアレルギー反応をキッカケに不信や不満などが噴出してしまうケースが散見される。

現代の特に若い指導者は、選手のこれまでの教えられ方も把握したうえで、教えるための「話の術」を身に付ける必要があると感じる今日この頃である。

面倒な時代へ突入である。

小崎 峰利

2024年7月22日月曜日

勉強と経験

指導者にせよ、選手にせよ、成長したいなら勉強と経験が大事。

選手においては、勉強を多くした上で経験。
失敗の経験、成功の経験共に勉強。
勉強という言い方は堅苦しいが、監督やコーチからの一言一言をいかに吸収しようとするか、これが勉強。

この勉強を色々な場面で経験をする。
経験をして成功と失敗を繰り返す。
このようなルーティンでトレーニングとゲームを繰り返す。
特にトレーニングにおいて、どれだけたくさんの勉強をしようとするかで大きな差が生まれる。

よって指導者は、選手にどれだけ多くの勉強をさせられるか。
選手は、指導者の教えをいい形で受け止められなければ勉強した意味がない。

サッカーが上手くなりたいのに、また、サッカーを指導したいのに勉強をしない選手や指導者がいるのも事実である。
小崎 峰利

2024年6月6日木曜日

自分の市場価値?

自分自身の市場価値はどれくらいであろう?

サッカー指導者として全て生活してきたわけではないが、まがりなりにも今現在もサッカー指導者として活動させてもらっている。

教えられる選手側からしたら、どの様な価値観で教えてもらっているのだろう?

教えられる側の価値観をこの上なく高められるならば、サッカー指導者としての市場価値は少なからずあると思う。

私は民間企業で30年近く商社マンとして営業職についてきた。
その中で商品を売る仕事をしながら、その商品に付加価値を付けて売り上げを伸ばしただけではなく、様々な方達との付き合いの中で、人としての付加価値もつけてきたつもりである。
いわゆる労働の付加価値である。

自分の市場価値は、自分自身の付加価値で決まる。
サッカー指導者としての市場価値は、サッカーという商品プラス自分自身で経験をしてきた物語りや、失敗などが付加価値として市場価値を上げていくのである。

こんな言葉もあります。
「いいコーチになりたかったら、本を読みなさい。音楽を聴きなさい。絵を観なさい。」(アリゴ・サッキ)
小崎 峰利

2024年5月14日火曜日

小さな約束事

大学卒業後、会社に勤めてから長年営業職で学んだ事。
それは、小さな約束事をしっかり守る事。

これは人に学ばさせて貰ったというより、自分自身の性格として当たり前という感覚で行ってきた事である。

小さな約束事とは、例えば友人とのやり取りで「今夜電話するよ」というやり取りがあって、それを実行しないというか忘れてしまって、電話しなかったという事があったとしよう。言われた相手は、今夜電話があると思い待っていても電話が無かった。
また、仕事上でお客さんや仲間から「これちょっと調べて今度教えて」など、ともすれば大した約束事では無いともいえるが、この小さな頼まれごととか約束事を絶対に疎かにしない。
もっと厄介なのがお金。学生にありがちな話で、自販機を前にして小銭が無いので「ちょっと100円貸して」というやり取りがあって、待てど暮せど100円を返してこない。
借りた方は忘れることもある。これは最悪。忘れてはいけない。

何月何日の何時に試合があるとか、駅前で待ち合わせをするとかという約束は当たり前だが、ちょっと頼むよとか後で連絡するよとかの小さな約束事を100%守ってきたつもりである。(最近は歳のせいで忘却多しではあるが)
この大きかろうが小さかろうが、約束をしっかり守る事がどれだけ信頼関係の構築の礎になってきたか。

学生に言いたい。
サッカーも人生も一緒。
小さなパスも小さな約束事も同じ。
信頼関係を築くには、小さなことまでしっかりやることである。
小崎 峰利