ゴールデンエイジという言葉があるように、この年代で体が完成されている選手は一人もいない。ジュニア(小学年代)を4年ほど指導していたときに、現在もそういう傾向があるかと思うが、身体能力を優先させるサッカーが主流だったように覚えている。
そのジュニア選手達といっしょに17名でジュニアユース(中学年代)を立ち上げ、1年間は2学年上と戦い、翌年も1学年上と戦い、特に最初の頃はテクニックがパワーに消されるという歯がゆさがあり、それは今でも忘れない。
ボールを奪われない為にはどうしたら良いかという想いで、1年生だけの夏休みからとにかく基本にこだわった。我がチームにもご他聞に漏れず、身体能力の高い選手も少数ながらいたが、身体も小さく、スピードの無い選手もいた。
様々な能力の選手が混在する中で共通して身につけさせることが出来るのは、個人の基本技術であり、個人の基本戦術であると感じながら指導を続ける毎日であった。
ステップワークを含む足さばきとボールさばき、観ることなど視野の広さに加え、最も重点的に取り組んだことはキックの精度を上げることであった。
その年、忘れもしない出会いがあった。
今は無きネルソン吉村氏(日本リーグ時代のヤンマーディーゼルで釜本邦茂氏らとともに黄金期を支えたブラジル人帰化第1号の選手)と懇意になり、サッカーについて話をする機会を得た。ネルソン吉村氏から「Jリーグが始まって日本人は運ぶ技術はかなり上手くなったけど、蹴る技術は僕が日本に来た30年前とあまり変わっていないと思う。サッカーはキックの技術が一番大切なのに・・・」と言われ愕然とした。
それは、自分の指導方針が“感じながら”から“確信して”に変わった瞬間であり、今に至っても全くブレることはない。
それからというもの、明けても暮れてもインサイドキック、インステップキックを練習し、脚の角度、膝の角度、身体の向きなどキック精度を上げるためにかなりの時間を注ぎ、キックは格段に上達した。しかし、身体が小さく、スピードが遅い選手がインサイドキックで相手によく引っかかる場面を見て、アウトインステップを思いつき、徹底してアウトインステップを練習した。この効果はてきめんであり、インサイドキックは身体の向きで予測され易く引っかかることが多いが、アウトインステップでさばくことにより、引っかかる回数が極端に減ってきた。
ここが名古屋フットボールクラブの原点である。
その後すべてワン・ツー・スリーのリズムをワン・ツーに短縮するパスワークを徹底したことにより、ヘッドダウンが減り、視野の広さにつながり、ボールを奪われる回数が減ってきた。ボールがつながれば、判断の早さも要求され、必然的に状況判断せざるを得ない回数が増えるため、経験値が上がっていく。
ところが、それでも勝てるという保証が無いのがサッカー。勝てるかどうかはわからない。ただ、このベースにいくつものスパイスを混ぜれば勝てる確立はかなり高くなるというノウハウはある。これは内緒だが・・・
小崎 峰利