2015年9月1日火曜日

改めて「育成」について考える ~最近考えること~


名古屋フットボールクラブは、毎学期通知表を提出させる。総合評価の高い選手や低い選手がいる中で、いろいろな観点から分析をする。遅刻、欠席の有無、各学科の細かい項目の評価、教師の所見、課外活動の内容と評価など。

気になることが一つ。数字で表されることは良くわかるが、総合評価が低い選手に対する教師の評価コメントに悪いことは記載されていない。おかしなことである。私が見る限り、評価の低い選手は何らかの問題があるのは事実である。毎日見ていて良いことばかり書いている。必ずやポイントがあるはず。それが見えてこない。

私はいつも感じる。数年来言ってきた事であるが、選手の集中力、勉強やサッカー、教師や指導者の言うことをまったく聞いていない選手が結構いる事に気がつく。まずここに気がつかなければ、その子供の全てを伸ばすことには限界がある。
サッカーにおいては、身体能力やサッカーに関するセンス、持って生まれたボディバランス、スピードやフィジカルなど、小さなときからこれらを持っていたとしても、先に書いた聞くことや、聞いたことを頭に留め置き、実行することが出来て初めて伸ばすことが出来る。

グラウンドに出て同じ時間を過ごすにも関わらず、伸びの低い選手がいる。これは聞いてきたことを考えず、今まで通り行ってきたことを反射的に行ってしまう癖がついてしまっているからである。勉強にしても、評価の低い選手は「勉強をやらないからだ」と決め付ける保護者も多く居る。勉強机に息子が座っていれば安心する。塾へ行っていればほっとする。当たり前であるが、サッカーにおいても同じ現象である。グラウンドに出ているが、ただがむしゃらにやっているだけ。そのがむしゃらの、その頑張りにも個人差がある。

最近は、指導者が、教師が一人ひとりの分析をあまりしていないんではないかと思ってしまう。我がチームの指導者には、とにかくまず選手の分析をさせ、どのようなアドバイスが良いのか、またどのようにしたら頭が働くのか、どのようにしたら話を聞くことが出来るのかを常に観察とコミュニケーション、声掛けをさせている。最優先は意識をさせることである。

こういう選手がいる。話を聞くときは、話をする人の目を見て聞きなさい。昔からよく言われてきたことである。ただ、目を見ることに集中して話の中身をまったく聞いていない選手がいることも事実である。我がチームは全てのことに共通するであろう、意識付けに心血を注いでいる。

サッカーにおいてのことを一つ。
先に書いた能力の高い選手にありがちな感覚でサッカーをするということについて、少し気になることがある。たまにトレセンの活動やハイレベルの試合を見に行くことがあるが、選手の動きや戦術論が全てのように感じる。個人に特化したコメント、例えば足の使い方、ターンの仕方、体の向きに関してはよくコメントを聞くが、どちらの足でボールを奪いに行くかとか、体のぶつけ方などの個人技術や個人戦術に関しては少ないと感じざるを得ない。この育成年代は個人のレベルアップ、特に「蹴る」「運ぶ」「止める」はもちろんのこと、「観ること」や「相手との駆け引き」「足の使い方」もう一つは「シュートを含むキックのレベルアップ」など個人にもっとフォーカスして欲しいと感じている。

最近は能力の高い子供がサッカーに関わる時代から、すべての子供がサッカーに関わることができる時代に突入してきている。同じ年代でも、また、どのような資質を持った選手にでも対応できる指導者を目指さなくてはいけない。

私は長年にわたり育成年代を見てきている。その中で様々なレベルの選手に対応してきた。そのノウハウを駆使して、今後も育成年代の指導者のスペシャリストを目指すと共に、このような対応力を備えた指導者を育てることにも心血を注ぎたい。

日の丸から世界に羽ばたく選手を目指し、また人を思いやれる選手、常にチームのことを考えられる選手、キャプテンシーを持った選手。どのようなチームにも欠かせないキャラクターの選手を数多く輩出したいと考えている。

小崎 峰利