最近の中学年代の選手を見ていると、”何となく”サッカーをやっている選手が多くいる気がしてならない。
過去においては、身体能力が高く、サッカーにまつわる感性がある選手が多く存在していた。その選手たちが”何となく”サッカーに取り組んでも、ある一定のレベルまでは到達できた。
現在は、サッカーというスポーツが身近になってきて、誰もがサッカーを始められる環境が生まれてきた。以前にも書いたような気がするが、サッカーを始めて最初のテクニック習得はボールリフティングである。今も昔もリフティングの回数を伸ばすため、それぞれが相当な努力をしてきたはずである。しかしながら、その次の”止める””蹴る””運ぶ”という単純ではあるが最も重要なテクニックに対してのトレーニング、また、試合などでのパスひとつにしても”何となく”が少しずつ目立ってくる。
確実に相手選手の脚に当たる場面でも、”何となく”ボールを蹴ってしまう。ゴールキーパーの位置など関係なしに、”何となく、あの辺に”シュートをしてしまう。
勉強にしても、やらなくてはいけないとわかっているにもかかわらず、”何となく”勉強机に座って安心をする。親御さんも、勉強机に座っている息子を見て”何となく”ホッとする。塾に行っている間は安心する。
サッカーも勉強も同じである。全く同じではないかもしれないが、サッカーは好きで始めたはず。勉強はほとんどの選手があまり好きではない。にもかかわらず”何となく”サッカーに取り組む子供が多すぎる。
サッカーは好きだから、夢中にはなる。夢中でやれば多少は身につくものはある。勉強は”何となく”やっても身につかないし覚えられない。
時代背景も影響をしている。
技術の習得や良い習慣作りは何かしらの苦労を伴う。しかし、今の世の中は何かを身に着けるためや情報を仕入れることに、さほどの苦労がいらないようなシステムが多い。苦労や我慢ばかりが良いと言っているわけではない。この大事な時期の3年間で、”何となく”をやめて、前にも書いた”本気になって真剣に”取り組むことを頭で理解させ(この理解させる作業が難しい)、それをひとつひとつのトレーニングや習慣作りに反映をさせることが先決と考える。
”何となく”をやめ、トレーニング中の”トラップ一回””パス一本”にこだわりながら、さらにボールを”奪う””奪われない”ことに徹底的にこだわりながら取り組むことで、格段のレベルアップが図れると信じている。
上のカテゴリーに行っても、このこだわりを継続することができる選手を育成し、また、継続できなくなりそうになったら、選手が所属するチームへ出向き、”本気になって真剣に”を思い起こさせるなどのフォローを地道に行ってきたことが、名古屋フットボールクラブの歴史を作ってきたと考える。
小崎 峰利