2022年6月15日水曜日

やらせるのではなく、やるようにさせる

育成年代に必要な事は、今も昔も変わらず自ら進んで物事に向かう事である。

しかしながら、昔は「これをやりなさい」が多かったのも事実である。
私もそのような言動が多かったような気もする。

ただ、思い返してみると、やらせてきた後には必ず「何故これをやる事が必要か」また「これをやる事によって何が有益か」ということを切々と論じてきた事も事実である。

育成年代の選手達に限らず、子供は無垢である。
その無垢な子供へのアプローチとしては、まず持って体感させる。
その後に「何故?」なのかを説く。

この繰り返しによって、選手達は自らやるようになるのである。
やらせっぱなしの指導者からは、”上手い選手”は育っても”良い選手”は育たないであろう。
小崎 峰利

2022年6月1日水曜日

効率

トレーニングには、すべて目的がある。

そのトレーニングをすることで、効率よく身につけられる事ができれば、それに越した事はない。
しかしながら、やればやるだけ身につくトレーニングもあれば、やってもやっても身につく事がないトレーニングもある事を知らなければならない。

私の経験からいけば、反復練習でさえ頭からの指令を持ってやるのと、ただ単純に繰り返すだけでは身につく効率が大きな差があると感じている。

当然のことのように、少年期は個人スキルを中心に反復練習が多い。

歳が上になっていけば、またサッカーをチームで学ぶ時期になれば、当然のことのように反復だけではダメな部分のウェイトが高くなってくる。

状況に応じて、いかに効率よく動いたり、予測したりなどのスキルを身につけるためのポゼッションのトレーニングを同じ時間していても、「動き出しのタイミング」「ポジション位置どり」などと、コーチングされて初めて動く選手の身につく効率が悪いこと。

選手の皆さん、効率よく身につけられるには反復だけではない事を覚えておいて下さい。
小崎 峰利

2022年5月20日金曜日

やらせることなかれ

昔は、やらせてきたな。

現代は、やらせちゃダメなんだな。

長い事教えて来ていると、教え方に違いが出てくる。
確かに、やらせないとダメな選手がいるにはいる。

しかしながら、やらせるのでは無く、やっていただく。
やっていただくということは、やらなくてはダメなのだと本人が気がつくのだ。
ここがミソ。

現代は、誉めて伸ばすということをよく言う。
褒めて伸ばすのでは無く、褒めることによって、やらなくてはダメなのだということに気が付く

昔は、やれやれと言ってやらせて来た。
やれやれと言うことで、やらなくてはダメなのだと気付かせる。

やり方は正反対だが、目的は一緒。
どちらも「やらなくてはいけないんだ」「やるべきなんだ」となる。

結局やるのは本人。
我々の仕事は、どこかのCMにあったように選手のスイッチを入れてやることなのだ。
スイッチの入れ方がちょっと違うけどね。
小崎 峰利

2022年5月13日金曜日

人を動かす

サッカーにおいてというか指導者において、また、選手間でのコーチングにおいて、”人を動かす”にはどうしたらよいか?

社会人時代でも、子育て時代にも、はたまた指導者なりたての頃は「やれ!」とかなど、よく命令してきた。

選手の間でも、「何でできないんだよ」「やれよ」など何か命令口調が散見される。

物事の本質は、やる事に対しての理由が必要。

この理由が分からないというか、必要性を真剣に理解して始めて「やらなければならない」になっていく。

人を動かすには命令ではダメ。

何で動かなければならないかの理由と必要性をトコトン理解させるようにすれば、自ずと実力が上がる。
小崎 峰利

2022年5月11日水曜日

FWの適正?

トレーニングやゲームの中で、ポゼッションのトレーニング、また、ゲームであればボールを奪ってから攻撃に転じた時のFWの動きのみを注視していると、最も近くにいるサポート選手は別にして、ボールホルダーに知らず知らずの内に近づいて行く選手と、何故かしら離れて行く選手を見かける。狭いスペースでボール回しなどをしている時にもこのような現象を見かける

もちろん、年齢が上がれば当然のことのように次のポジションを取ろうとして離れていくのは理解できるし、年齢が上がって教えられれば当たり前のようにできる行動である。

幼稚園などでサッカーをやらせるとダンゴ状態になるのがこのような現象。
ボールに寄るのは本能なのである。

しかしながら、攻撃の本能として、いずれこのスペースにボールは来るであろうという感覚(本能)がある選手もいる。

次の次を狙う本能のある選手を、小学校低学年で探すのは楽しいと感じる今日この頃。
小崎 峰利

2022年4月22日金曜日

五分の三感トレーニング

五感(視、聴、味、嗅、触)の中でサッカーに必要な三感、味と嗅以外のトレーニングをどのようにするか。

"触"においてはボールに触り、キックやドリブル、シュートなどなど、また相手に触りコンタクトを取ったりしてトレーニングをする。
子供の頃から、来る日も来る日もリフティングやコーンドリブルなどトレーニングをしてきた。

しかしながら、"視"(見ること)や"聴"(聞いたり話したり)などに特化したトレーニングをしてきたことは無い。
特化したトレーニングは無いかもしれないが、サッカーのトレーニングにおいては"視"と"聴"は相当必要、特に"視"(見る、観る)は自分自身で情報収集する唯一の武器。

"聴"は味方から情報収集するため、味方の話す(コーチング)技術が必要。

指導者は、五感ではなく三感を強く意識したトレーニングを取り入れていくことが必要である。
この三感を強く意識してトレーニングメニューを組み立てると、選手たちにとってはかなり楽しいトレーニングができるはず。

更に選手達自身も、三感の意識が重要であることを再認識することであろう。
小崎 峰利

2022年4月8日金曜日

高梨沙羅さん

北京オリンピックの混合ジャンプで前代未聞の事が起こった。ジャンプ競技では良くあるというスーツの規定違反。

これで5人の女子選手が失格となり、高梨沙羅さんも失格でメダルを逃した。

一連の中身が報道されると何かスッキリしない検査方法。
事前検査であれば未然に防げた。
抜き打ち検査で失格になるのも何か解せない。
検査方法も非科学的な検査で平等性にも欠けている感がする。

何かモヤモヤ感が満載。
どこかで似たようなことがある。

交通違反の取り締まりとよく似ている。
事故を起こさないために事前に警告すればいいのに、隠れてスピード違反や一旦停止を取り締まる。
事故が起きてからでは遅い。
本質は事故を起こさない、起こさせないためにが本来の目的である。

オリンピックという4年に一度の大会に向けてひたすら努力をしてきたアスリート達が、競技そのものを否定するかのような方法で失格させるという暴挙。

選手の皆さん、大会本部、競技本部に今後の検査方法の是正を唱えてほしい。

高梨沙羅さんは、個人ノーマルヒルでの失意の中、素晴らしいジャンプをしたのにもかかわらず、この仕打ちは可哀想でならない。

そんな状況下でも最高のパフォーマンスで競技を終えた日本選手たちに拍手を送りたい。
小崎 峰利