2020年6月8日月曜日

新型コロナウイルス緊急事態宣言明けのリバウンド

新型コロナウイルス緊急事態宣言が全国的に明け、人々の思いは「緊張が解けて普通の生活に戻れる」との楽観論、また、「緊急事態宣言が明けたとしてもすんなり元に戻ることなんてできるはずがない」との慎重論と大きく分けて二つに分かれると考えられます。

子供たちはそれぞれの性格にもよりますが、親御さんというか家庭内のコロナに対する考え方の空気感が微妙に影響してきているはずです。

春休み、夏休みなどしっかりとした区切りがあって、計画的に過ごせば楽しくも勉強になる、また、サッカーに関してもトレーニングと試合など、やり方によっては自分自身の成長などを自覚できる期間があるはずなのですが、計画を立てたくても環境や行動制限など制約が多く、誰も経験したことのない時間の組み立て、精神のコントロールなどなどモチベーションを保つ事もままならない状況が続いたと思います。

このような状況において、いきなり学校生活やスポーツなどグループや集団での活動に、すんなり入って行くことのできない選手が出てくるのも当たり前の事と思われます。

そんな時、大人はどの様に対応していくべきか?

いきなり前と同じことを求めても難しいはずです。

徐々にという選手、今までと変わらず流れに入る事の出来る選手をしっかり見極め、それなりの対処をしなければメンタルをやられてしまう事も考えられます。
繊細に、かつ、ゆっくりをベースに、選手たちを元の軌道に乗せられる様にしていきたいと思います。

もし、ご家庭や学校生活において気になる様な事象を見受けられたら、遠慮する事なくスタッフに相談というか情報を教えていただければと思います。

以上の事を踏まえながら、緊急事態宣言下でのそれぞれの行いが違う様に、これが明けた時のリバウンドもそれぞれが違うということをしっかり理解して夏を迎えさせたいと考えています。

今後とも選手達の為に、我々大人が良い手助けが出来るようにしていきましょう。
小崎 峰利

2020年5月7日木曜日

何気ない生活

今年の初めから新型コロナウィルスという新手の病気がジワジワと浸透し始め、4月には我々が経験をしたことの無い、未曾有の状況になっている。


自分も含めて日本国中、生きている人全ての”何気ない生活”、子供は遊び学び、大人は働き、またお年寄りはのんびり余生を楽しみ、もちろん何気ない生活の中で苦しみや悲しみを抱えておられる人もいるでしょう。


今回のように、何気ない生活の時間の中でとんでもない危険や制約を受け、でもその危険がいつ、どこから身に降りかかり、どこでその危険を自分が身近な人も含めた他の人に巻き散らすか分からない

我々指導者にとっても、選手達がスポーツ(サッカー)をやりたくても出来ない状況が目の前に来るなんて想像すら出来なかった。

”何気ない生活”が、いかに大切かつ素晴らしいことなのか分かりつつある。

このような何気ない生活を送る、以前も今も同じように人には24時間が与えられている。その24時間の中で、目的を持って行動する事は食事と睡眠、これはどんな時でも一緒。
それ以外の何気ない時間、学ぶ(勉強、サッカー)時間、これが今後どのように影響してくるのか非常に興味深いというか、怖い。

コロナ対策のそれぞれの基準。何気ない時間のそれぞれの学びの基準。
やはり具体的な事を掲げて実行できるか否か。
これが大切。

我々指導者は、沢山の経験、勉強、情報収集から具体的な意識を選手に持たせる事で、それぞれの基準を上げさせていく事が大事だと改めて痛感する。

この厳しい状況の中、それでも何気ない時間が流れ何気ない生活は続く。
今までの何気ない生活が送れることに有り難さを感じられる様になり、何気ない時間の中にもしっかりとした具体的な行動をとる事が出来る様にしたいものである。
小崎 峰利

2020年4月7日火曜日

察しの文化

日本は昔からおもてなしなど、気配りを重んじてきた文化がある。

私の座右の銘である”予測と配慮”も、色々なことを予測してそこに気配りをしましょう、という考え方である。

サッカーにおいても、パスの受け手がどの様な態勢で、どの様なスペースでボールを受けたいのか予測し、ボールの転がり方や回転を考え、受けやすいボールを配給する。

このように考えると、予測と察するは同義語である。

しかしながら、サッカーではなく一般的な生活の中において、色々な事を察する事の難しさ。

ある選手と違う選手に同じ指摘をする時に、相手の感受性や性格を察して、どの様なアプローチをすれば良いかを考えてアプローチをしてきた

そういう考え方でいけば、察するという事の重要さが分かってくる。

また、相手の気持ちを察しながら物事を進めていくという社会人時代に培ってきた事が、指導者になって存分に発揮出来ている事も事実。

今後、選手にも若い指導者にも”察する”ことの大切さを説いていこうと思う。
小崎 峰利

2020年3月10日火曜日

大人

私の話す内容には、よく出てくるフレーズがある。
中学生にも、高校生にも、大学生にも”大人”というフレーズである。

中学生、特に小学生から中学1年生になりたての選手に対して、また、その選手の保護者に対しても、「彼らを大人として対応してあげて欲しい」と話をする。

私達指導者は、選手に”大人”を意識させることから始める。

”大人”という言葉には様々な基準がある。
社会では18歳か20歳で”大人”という扱いをする。

13歳で「大人」を意識させることの重要性は、名古屋FCでの20年強の経験の中で一番感じている事でもある。数多くあるキーワードの中でも、1~2を争う重要度である。

サッカーの指導者であれば誰でも知っている言葉がある。
“サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする”という言葉である。

非常に簡単な言葉ではあるが、間違いのない、また重みのあるフレーズである。
しかしながら、どういうことが”大人”であり、どういうことが”紳士”であることなのかは、指導者のさじ加減一つで決まってしまう。
その中身を勉強、研究することが大切である。

サッカーに必要なツールとして技術があり、そのツールをグループとしてどのように使いこなし、チームとしてどのようなコンセプトで完成させるかがサッカーの面白さであるが、そのすべてを司るのが頭と心である。
その頭と心を作るのが、子供よりも”大人”の方がより完成度が高くなるということ。

この”大人”にさせる沢山の経験と研究のおかけで、私の”大人”という引き出しの中身は溢れ返っている。

そのおかげと言っても過言ではないと思うが、私がゼロから立ち上げた大学チームは8年でやっと”大人”ということを意識をし始めた選手が多くなり、けっして上手くはないものの良いチームになりつつあり、勝てるチームになってきた。

少しでも早く、できれば13歳から”大人”を意識させることが大事である。

小学生のサッカー選手のご父兄で、もしこの深層に興味のある方は、名古屋FCグループに加入していただくか、聞きに来られるかして下さい。

指導者で興味のある方は、いつでも連絡してください。(笑)
小崎 峰利

2020年1月31日金曜日

理不尽

サッカーのようなスポーツの世界では、よく”理不尽”という言葉が使われる

社会においても理不尽はそこらじゅうにある。
私も社会人生活を30年もしてきたのでよくわかるつもり。

しかし、理不尽にはこれといって基準がない。
例えば、選手が頑張っているのに試合に出られない、何で自分の方が上手いのにあの選手が試合に出てるんだ、
何であの選手がレギュラーで自分はサブメンバーなんだ、あの選手はチームの仕事もサボるし自分勝手で自分の方が真面目にやってるのに…、などなどとよく耳にする。

理不尽は基準がない上に見るものによっては全然別物になってくる

頑張っただけではレギュラーになれない。
でも頑張らなくてはレギュラーにもなれないし、本当の意味での本質が上がらないのも事実。

その理不尽という言葉に大義名分があり、それに甘えたり、文句を言う選手や大人がいる。
ここに落とし穴があることに気が付かないと、いつまでたってもレベルは上がらない。

とにかく、ひた向きに自分を信じてやり続けられるようにさせたい。
”理不尽”という言葉に惑わされないように!
小崎 峰利

2019年12月11日水曜日

生活習慣病

世の中には生活習慣病というやっかいな病気がある。
私もご多分に漏れず、生活習慣病なるものの兆候がある。

育成年代のサッカーにおける様々な動きにも生活習慣病に似た事が数多くある。

トレーニングの中で「プレス」「寄せろ」、ボールを奪われれば「切り替えろ!」などの言葉が行き交う。

ただ、その言葉と裏腹に寄せろと言われても現実的には寄せていない。
切り替えろと言われても切り替えているとは思えないのんびりさ。

指導者が指摘しても本人は一生懸命寄せてもいるし、切り替えてもいると考えている。
まさに生活習慣病である。

無意識にやってしまうから、また何気ない生活のようなトレーニングではスキルの質も上がらないし、サッカーにおける”闘う”という原点からは程遠くなってしまう。

特に育成年代におけるトレーニングでは、このような生活習慣病から脱却しなくてはいけない。
小崎 峰利

2019年11月1日金曜日

マナーとモラル

ジュニアから大学生まで、育成年代全てのカテゴリーの育成に携わってきて思うことがある。

サッカーにおいてはルールがある。

オフサイドなど客観的なファウル、身体がぶつかったときのレフェリーの主観が多少入ったファウルなどルールに基づいて試合は進行する。

社会においてはルールはもちろんのことマナーやモラルがある。
マナーはシチュエーションによって異なるものの行儀、作法である。
モラルは倫理、道徳のことである。

毎年中学生や大学生を連れて遠征に帯同する。その中で見ていると、いかに公共の場でのマナーやモラルについて全くといっていいほどなっていないかを実感する。

例えばホテルのロビーや大浴場での行い。
まるで回りに人がいない中での振る舞い。

最近は、家庭内、また学校において道徳や倫理、マナーやモラルについての指導が少ないからなのだろうか。

私は20年も前からそういう場所で、どのように振る舞うかを具体的に話をして来た。
大学生にもなってと思うが、聞いてみるとそのような具体的なことを教えてもらったことが少ないと思われる節がある。このような状況のまま大人になってしまうことは不幸であると感じる。
私が歳をとったせいなのかもしれないが、最近の遠征でこのように感じることが多い。

でもこのようなことに気付く選手は、必ずサッカーの上達が早くなり、チームメイトから信頼を得る選手に変貌することは間違いないと信じている。

我が教え子達は、サッカーの中でミニ社会を学ぶ。
小崎 峰利