2021年3月1日月曜日

もったいない

たくさんの育成年代の指導をしていると色々感ずることがあり過ぎて、考えをまとめられなくなることがある。

小学生から大学生まで指導してきたなかで、カテゴリー(年代)が上がれば上がるほど気になることがある。

「この選手、もったいないよね」

観察していると技術ではなく、何で真面目なプレーが継続できないんだろう?、何でそこでプレーをやめちゃうの?、というプレーそのものではなく、プレーに対するいい意味での「熱心さ」や「直向きさ」に欠ける選手が実に多い。

その次にもったいないよねと思う選手は、素晴らしいストロングポイントがあるのにもかかわらず、それを生かし切れていない。

例えば、縦に速いスピードを持つ選手が、いつも最後にスピードを止めてしまうことで囲まれてボールロストするとか、縦に突破したのに最後に切り返してゴール前に相手の人数が増える状況を作ったり、多少レベルの差がある対戦相手になると真面目にやれなかったり、その様な選手を見ると本当にもったいないなと思ってしまう。

背の高い選手がハイボールを競ることなく、フィフティボールを拾おうとするとか。

技術は時間をかければ身につくものである。時間をかけさえすれば、個人技術は身につく可能性は大きい。

しかしながら、考え方や取り組み方などは、時間をかけても意識しない限り身につかない。残念ながら一番大事な事がそこにあることが理解できないのだろうか?
もったいないことこの上ない。
小崎 峰利

2021年1月20日水曜日

フラストレーション

サッカーは、真面目にやればやる程フラストレーションが溜まるスポーツである。

チーム内で上手くいかないことがあり、特にゲーム中に自分自身が思うようなプレーが出来ないとイライラしたり、また、仲間とのコミュニケーション不足に苛立ち、文句を言う事が多くなる選手がいる。

真面目に取り組めば色々な不具合が生じる事は当たり前。
それに自己主張を含めて文句を言ったり、下を向いたりしていては何ともならない。

もっと言えば、真面目に取り組まずに文句や下を向く奴は以ての外。

このような状況に対して、冷静に向き合っていき改善、行動して改善、その繰り返しがチームを熟成させ、個人を成長させる。

フラストレーションをどう咀嚼して飲み込めるかが成功への道筋である。
この事を理解させる事にどれだけ苦労することか、指導者は苦労する。
小崎 峰利

2020年12月17日木曜日

勉強机とグラウンド

昔から言ってきた事がある。
貴方は、たぶんだけど「勉強机に向かって座っている時間が長い事で勉強をしたつもりになっている」と。

学校の授業も同じ、全員が同じ時間先生の授業を受けているのに色々な差が出てくる。

グラウンドでも同じ現象が起きている。
随分昔は一生懸命やらせてきた。しかしながら、やらせる中にも自身で考え、工夫してまた真剣に取り組み始める選手が出てくる。

中には同じ時間グラウンドにいるのに、なぜか感覚だけでトレーニングし、時間だけが過ぎていく選手もいる。
そのような選手を見たら、何故か昔を思い出した。
貴方は小さい頃から勉強机には座っていたけど、時間と中味が比例していなかったのではないか?
と。

何故かグランドでも同じ様な雰囲気を感じる。何気ないシュート練習、何気ないボール回し、何気ないゲーム。
机には座っているけど、グラウンドにはいるけど、何気に共通している。

やはり、自身の能力を最大限に活かすにはどうすべきかを追及すべきであるとつくづく思う。

小崎 峰利

2020年11月25日水曜日

技術

私もこだわってきた技術、”止める” ”蹴る” ”運ぶ”という分かりやすい技術がある。

最近大学生を観察していると、”止める” ”蹴る” ”運ぶ”という技術の優先順位は、やはり”止める” ”蹴る” ”運ぶ”だと思うようになった。

以前、”心技体”の優先順位も”心技体”だと言ってきた。”体技心”でもなければ”技体心”でも無い。”止める” ”蹴る” ”運ぶ”も、やはり”蹴る” ”運ぶ” ”止める”とかではない。

サッカーにおいては”運ぶ”から始まるシーンは殆どない。

誰かの蹴ったパスを”止める”ことから始まり、そのまま”蹴る”(パスかシュート)。
それをまた”止めて”、次は”運ぶ”。
それからまた”蹴る”。

この連鎖が続いてゴールに迫る。

このような動作をいかに厳しいとか狭い状況下で訓練するか、その中で取った取られたが繰り返される。
上手く止められなければ、次の蹴る(パス)やシュートに繋げられない。
運ぶにしてもその後の蹴る(パス)を失敗したのでは台無し。

大学生は色々な差がついた状態で入ってきており、トレーニングをしても技術力がなかなか上がらない。
まずもって厳しいシチュエーションでの”止める”技術を極め、相手のマークが厳しい状況の中でも味方に正確なパスを送る事ができ、最後にはキーパーの位置を確認しながら上下左右いかなるところにも正確なシュートを打てるように、できるだけ若い年代からトレーニングする習慣を身につけさせたい。

昔オープンスキル、クローズドスキルとよく言ったものだが、本当に試合で通用するために技術トレーニングをして欲しいものである。
小崎 峰利

2020年10月28日水曜日

やればできる

昔から、「うちの子はやればできるのにやらないんだよね」などとおっしゃる親御さんが多々いた。

随分昔のことではあるが、”やれば出来るんだ”から”やらせれば出来る”というように言って、結構無理強いをしてきた時期がある。

確かに、やらせることによってやれるようになる事の出来る選手もいる。
ただ、やらされることによってメンタルが持たない選手の方が多い事に気がつく。

やはり、自らやる事の意味と意義を理解させる事が先決。そして、やることによって選手自身が成長を確認させられる言動を大人がしてあげられれば、やる事の大切さを理解するであろうと考える。

”やればできる”という言葉は紛れもない事実ではある。
しかし、”出来る””やり切る”には、自らがやらない限り出来るようにというか、成長することには繋がらない。
勉強も、スポーツも、趣味も、遊びも共通である。

我々指導者や親は、選手の心の持ち方を最初に確立させることに注力すべきと思う。
小崎 峰利

2020年10月6日火曜日

コロナ禍のトレーニング

育成年代の指導をしていると、自己表現の乏しい選手が多い。
そういう選手に対しては、まず大きな声で挨拶をするようにと促すところから始まる。
トレーニングでも、コーチングを含めチームを鼓舞する声などなどの「声を出して意思疎通を図りなさい」と教えてきた。

現在は、コロナの影響で三密を避けるという事が新しい生活様式の定番である。サッカーのトレーニングにおいても密を避ける為に、集合時はかなり気を使う。

私の経験からすると、「大きな声で挨拶しなさいよ」「気がついた事はプレー中にコーチングをしなさい」などと教えてきたものの、全てのことにおいて選手自身が意識して実行しないと身につく速度は遅い。条件反射や反復練習で身に付けさせる時間は少ない。

昔、声を出させるためのトレーニングの一環で、対人プレーやゲーム形式において「絶対声を出さないでトレーニングをしましょう」とやってみた。
意識をしていない選手はついつい声を出してしまう。いつも声を出さない選手は「しめしめ」と思っていたかもしれない。
声を出してはいけないという”意識”を、させることで頭のトレーニングをした事が幾度とある。

”意識”の後は実行。

現在のコロナ禍において、声を出さないでゲームをするということは、情報を仕入れるには目しかない。
コロナを避けるための喋らない事で、”意識”と”視野”を広げる一石二鳥のトレーニングになる。
ちょっと無茶な話かもしれないが‥‥
小崎 峰利

2020年8月17日月曜日

意識の先にある事

コロナの感染者が急激に増えている。

練習前後、いつも選手達には自分がコロナに感染しているつもりでオフザピッチの行動をする事。またコロナにかからないように気をつけてなど相当口うるさく言っている。
その事により、選手それぞれがコロナ対策を意識する事は間違いない。

サッカーにおいても、選手自身の意識レベルの違いがある。

中学生であれば、夢に近い状況でプロになりたいという意識。
大学生にもなれば、卒業後はプロになるんだという意識。

我々指導者から見て、「あの選手は意識高いよね」「彼は言う割にはちょっといい加減だね」とか意識レベルの話をよくする。

意識をさせるのにも一苦労するのであるが、意識の先にある行動。
これこそが大事であると考える。

コロナもそう。
コロナ対策をしなくてはいけないという意識はあるが、必ずマスクをすかというとそうでは無い場合もある。
手洗いうがい消毒も必ずやれるかというとそうでもない。
徹底が出来ない。

サッカー面でもそう。
「プロなりたい」「プロになるんだ」という意識を持っていても、その先にある行動レベルの高低差が著しい選手が多い。

我々指導者は、まず意識レベルを上げる事に心血を注ぎ、その意識の先にあるものを選手達が一生懸命模索し、レベルの高い行動を実行することが大切である。

このコロナの状況で何とか意識レベルのの向上を学び、今後のサッカー人生に活かしてもらいたいものである。
小崎 峰利