名古屋フットボールクラブ(名古屋FC)を創立21年、EASTを立ち上げて12年が早くも経った。創立当初から、将来的には名古屋市圏の東地区と西地区にそれぞれチームを形成しようと考えていた。
創立当時はサッカークラブ自体の数が少なく、本格的に取り組むクラブは更に少なかったこともあり、地域に関係なく練習会場が遠くても選手が通って来てくれた。
西は津島や富田はもちろん三重からも来てくれた。北は一宮、木曽川辺りはもちろん岐阜からも来てくれた。東は日進、長久手はもちろん豊田や、南は岡崎、豊橋からも来てくれた。その為、敢えて名古屋の東西に離して練習会場を確保し20年以上もやってきた。
しかしながら、10数年前ぐらいからクラブ数もかなりの早さで多くなり、現在の練習会場の間に沢山のクラブチームが立ち上がり、選手が”名古屋フットボールクラブに通う”という意味より、”東西の練習会場に通う”という物理的なロスのほうが多く出始めたため、東地区にEASTを立ち上げた。
名古屋FCの育成コンセプトは、育成年代のサッカー指導の本質である取り組み方の重要性、努力の基準を上げ、加えて勉強にも真剣に取り組むことを徹底させ、サッカーにおいての個人技術と個人戦術を強調しながら、思いやりや感謝の感情を大切にし、また、チームという組織の仕組みや規律の必要性を感じさせることに重きを置き、競技サッカーに大切な全てを教えることである。
しかし、最近のチームの多くが、技術は強調するものの良い選手に育っていくためのスパイスが少ないからか、上手い選手は上手いだけのまま、上手くない選手は努力することの大切さが欠けてきて、勉強を理由にやがてサッカーから離れていくという現象を見てきた。また、他チームにおいて可能性を感じる選手も見かけるが、その後加速的に伸びていって高校や大学やプロとかで活躍することがほとんどないのはなぜだろう、といつも素朴な疑問を抱いている。
名古屋フットボールクラブは、高校生年代以降にもそのスパイスを持ち続け、更なる努力をしていくことが大事という極めて単純な、しかしアスリートを目指す上で一番大事な「本気にさせる」という隠し味を持たせることに心血を注いできた。また、全国の高校とも綿密にコミュニケーションを取り、送り込んだ選手のフォローをしている。
どこまでいってもプレーするのは選手である。才能を持っていたとしても、やり続ける才能がない選手には教える必要性がある。名古屋フットボールクラブ出身で高校や大学で活躍し、最終的にプロになった選手が20名近くもいる事実は、そういうところから来ていると自負している。夢を現実ととらえさせることが大事である。
そのような考えから、EASTは10年で東地区に根付くことが出来たと考える。いずれ近い将来EASTからもプロ選手が生まれると確信している。
また、長年広範囲に渡って活動してきた名古屋FCは、今後名古屋市内にはっきりとした拠点を置き再スタートをする。
そして、改めて西地区に育成年代に極めて重要な名古屋フットボールクラブのコンセプトを掲げ、将来ある選手の育成に着手すべく、来年度からWESTを立ち上げるに至ったいきさつである。
今後も名古屋フットボールクラブは、卒業した選手がそれぞれのカテゴリーにおいて中心選手、また、キャプテンとして活躍し、さらにはプロ選手になって日本代表に名を連ねるような選手が出てくることを信じている。
この中学生年代は、どの分野に進んでも重要になる考え方や取り組み方を身につけ、人としてベースになる人間性を身につけることが最重要課題であると信じて疑わない。そのすべてを身に付けるため、好きなサッカーという競技を使わさせて貰っていると考える。
小崎 峰利