2015年12月25日金曜日

“心・技・体”と“継続は力なり”

小学生時代の遊びからスポーツに進化し、徐々に競技スポーツに目覚めた頃、私はたまたまサッカーと出会った。
              
12歳からサッカー競技を始め30歳で現役を引退、その後約30年間指導者としてピッチに立ち続けているなかで、あらゆるスポーツ界において“心・技・体”というフレーズを耳にしてきた。

私も、事あるごとに“心・技・体”という言葉を選手に言ってきた。
10年以上前になるかもしれないが、ふっと感じ“心・技・体”の順番に触れた話をした。

なぜ“心・技・体”なのか。“体・技・心”でもなく、“技・体・心”でもない。

「やはりスポーツは“こころ”が一番重要である」ということを選手に言うようになった。

それからは、その“こころ”の部分にかなりこだわって話をしてきた。お預かりした3年間で、どれほどの“こころ”に関する情報を提供しただろう。
我々に教えられるものとしては“こころ”と“技術”がほとんどである。
“体”は栄養に関すること、怪我や病気をしないための準備を徹底する為の情報提供しか出来ない。

とにかくベースは“こころ”であると信じて疑わない。
その“こころ”のベースが感謝と思いやり、気遣いと言ったところか。

また“継続は力なり”についての解釈もこのように思う。

“継続は力なり”

継続することによって力になっていくということであるが、継続するということは簡単ではない。
継続すること自体も能力のような気もするが、私は継続をしていく力も養っていかなければいけないと感じる。
この継続をすることができる力は、“こころ”から湧き上がってくるはずである。

ゆえに全ての競技スポーツの原点は、“こころ”であると考える。
小崎 峰利

2015年11月18日水曜日

選手の潜在能力をいかに引き出すか

“潜在能力を引き出す”については、以前にも少し書いた。
選手へのアプローチの仕方は、選手の数だけあると言っても過言ではない。しかしながら、ほとんどの大人は選手へのアプローチに問題があると考えていない。(特に自分の子供に対しては私を含め誰でも・・・)

“褒め方と怒り方”
この手法のウエイトは、かなり大きい。この手法においては、私も相当な経験値と実績とを持った指導者の一人であると自負している。

最近、ある大学の監督とこんな話になった。
現代の高校や大学には、“上手い選手”は大勢いる。ただ、これらの大半は、いわゆる“上手いだけの選手”で終わってしまうのが現実である。
“上手いだけの選手”の共通点は、意識の持続とやるべき事への継続性が不足し、自分で納得できない事へ心が拒否反応を示してしまう。本当の意味で理解できていない。

ジュニアユース年代での意識の希薄さ、色々な事への対応力の乏しさ、サッカーという競技の本質の理解不足等々に要因がある。技術(ハード)だけに特化してきたわけではないだろうが、考え方や取り組み方(ソフト)との落とし込みのバランスが悪かったのだろうと思う。

これが俗に言う、「あの選手もったいないよね。上手いのに・・・」とか、「あの上手かった選手はどうしちゃったの?」とか言われる所以である。

選手の保護者向けに、よくこんなフレーズを口にしてきた。
「何でうちの息子は叱られてばかりいるの?何であの子は怒られることがないの?何でうちの子は叱ってくれないのですか?などと思わないで下さい。」
「同じことを感じさせ、意識させ実行させるには声の掛け方、口調、タイミング等々全てが違います。同じことを感じさせるにも、選手によって手法が違うのです。」

それはチーム発足以来、今も何ら変わっていない。
一人でも多くの「本当に上手い選手」の育成を目指して。


小崎 峰利

2015年11月6日金曜日

高校サッカー事情

以前、「“全国区のクラブチーム”となるためには何が重要かを考えた時、・・・中略・・・チームカラーとして“あいさつ”“身だしなみ”を厳しく指導、また、今でこそ当たり前だが、移動用のジャージ・シューズ・バッグを揃えて(あえて費用をかけて)“規律”を重んじてチームの大切さを強調、さらには私生活・学校生活・勉学についてもかなり厳しく指導・・・中略・・・、オンザピッチだけでなくオフザピッチにおいて、それなりの存在感を示すことができていたことが、後々の全国の高校サッカー界とのパイプ作りに繋がっていったと実感している」と書いた。

そういうなかで、名古屋フットボールクラブの選手に興味を示してくれた愛知県内はもちろん、県外有名校の監督にも連絡を取り、頭を下げて練習見学や選手を練習に参加させていただくことを繰り返すようになって、高校サッカー界における人脈が形成されたと思う。

とにかく、選手の将来を考えて色々なところに足を運んだ結果と、選手が進学した高校において名古屋フットボールクラブで学んだ事をしっかりと遂行し、迷惑をかけずにやってきてくれたおかげで、全国区の高校への輩出が続けられていると考えている。

名古屋フットボールクラブは「県外の高校へ多くの選手を送る」、「ある高校へしか選手を送らない」などと言われたことがあった。

愛知県の高校サッカー界では、サッカーに重きを置いて全国優勝やプロ選手を目指すには、全般的な環境が今一つであると言わざるを得ない。

確かに、監督は自己犠牲のうえで一生懸命指導している。
しかしながら、愛知県は成績によって入学時における関門が非常に大きい。他県では選手の成績面に柔軟性?を持たせている強豪校も多いが、愛知県の強豪校は成績面にシビアである。

現実として、成績は芳しくないが、サッカーでは高い可能性を秘めた選手がいる。

こういった選手を受け入れていただける強豪校は少ない。
そこで、県外のサッカー強豪校へお願いすることになる。こういった事が積み重なって「県外ばかりに送る」と言われ始めたのである。

これは非常に難しい問題であり、愛知県内では解決し辛いであろう。
サッカーの本質を理解し、リスク?を負ってでもサッカー部の強化を敢行する高校が増えてくれば有望な選手の県外流出は少なくなり、全国でも充分に戦える可能性は高まる。また、県内の競争が激化し、全体のレベルアップにもつながる。

しかしながら、“サッカーが全てではない”という現実も確かにある。
我々指導者は、選手達の将来を考えなければならないので、ここが悩むとこである。大学以降も含めた将来展望を、視野に入れて進路は考えるべきである。

私は、他チームの指導者に会う度に自分の指導理念を切々と話をする。
私はお酒が飲めないので、食事をしながら、コーヒーを飲みながら、温泉につかりながら、などといった場面になる。


「とにかくサッカーに真摯に取り組み、気遣いとチームを思いやる選手の育成、また、チーム力はどうしたら上げられるかを常に学ぶことが私の使命。基本技術の大切さと対応力、順応性を身に付け、どのチームにおいてもキャプテンを任される選手の育成を目指している」と言っている。切々と・・・

2015年10月26日月曜日

13歳から15歳までの育成に重要なこと

名古屋フットボールクラブの20年におよぶ歴史の中で考え続けてきたことがある。

「サッカーを上達させるために何が一番重要か?」

サッカーにおいても守備のプライオリティーなど色々な優先順位がある。
13歳でジュニアユースに入ってきた選手に対して最初に着手することは、“その気にさせる・本気にさせる”ということから始める。

“その気にさせる”ということはどういうことか。
何歳からかわからないが、幼稚園か小学校低学年からサッカーを始め、お父さん、お母さんの協力を得ながらサッカーという競技に夢中になってきて、大会に出て勝利し喜び、負けて涙し、その中でひたすらトレーニングをする選手もいれば、何となくサッカーをする時間を過ごす選手もいる。

ほとんどの選手がボールを買ってもらい、リフティングから始まり、10回、30回、100回と目に見える結果に喜びトレーニングを重ねる。しかしながら、サッカーを始めてしまうと意外と“個”のトレーニングはおろそかになる。

何を努力すればいいのか?
努力のレベルは人それぞれ、この現状をいかに把握し、できればそれぞれにアドバイスをしながら、“何をどれだけ努力すれば”上をめざすことができるのかということを徹底して教える。

これが“その気にさせる・本気にさせる”ということである。

“何を”という中身はそれぞれのクラブや指導者のノウハウであり、努力の基準は、チームが歩んできた歴史やプロセスに隠されている。このような重要なことを、まず持って論理的に話をし、日々のトレーニングの中で頭の中と心の中に徹底して印象付けるところから13歳は始まる。

勉強に取り組むことにしても、同様に考え方と取り組み方を徹底して説明する。
全般的に、自ら進んで勉強する子供は少ないと思われる。一般的な光景として、お母さんの「勉強しなさい」という言葉から始まり、「早く塾行かないと遅れるわよ」という日常的な会話が始まり、しぶしぶ?勉強机に座り、しかたなく?塾に行く。ここでお母さんはひとまず安心する。しかしながら、成績は一向に上がらない。
最近の塾も昔とは違い、それぞれの個性を尊重しながら個別指導をするタイプも増えてきたと聞いている。昔ながらの授業体系のところでは学校の授業と同じで、ためになるかしっかり飲み込めているかの個人差ははっきりと出てくると思う。

サッカーにおいても同様の現象になる。
同じトレーニングをして、同じだけの時間を共有していても上手くなる選手と、いつまでたっても成長が乏しい選手がいる。

サッカーは反復で覚える動作やボールコントロール系、考えながら動く動作、考えながら動くポジショニング、状況に応じた判断、それもすばやく判断をするなど、一見動きは同じでもしっかりと頭の中が働いた上での判断・動作なのかを指導者が見極められるかことが大切である。

このような観点と視点でトレーニングを進行できるか?
全ての指導者ができるはずもなく、ただこういう論理をしっかり持っているかどうかの3年間はとてつもなく大きな差になってくると考える。

名古屋フットボールクラブは“その気にさせる・本気にさせる”ことから始まり、世界やプロに行っても困ることのないノウハウを惜しげもなく伝授する。コーチングスタッフにも、どのように選手たちをサポートするのが良いかを毎日考えさせている。

その積み重ねが、名古屋フットボールクラブ出身選手が全国の高校で少なからず活躍し、更に11名がプロ選手になったという結果に表れ、3年間の重要さを証明していると自負している。
小崎 峰利

2015年10月16日金曜日

「街のクラブチーム」から「全国区のクラブチーム」を目指して

私が指導者になったのは30歳からである。その時は現役を引退して、永年お世話になってきた社会人主体のクラブチームでコーチングを始めた。ある意味“指導”とは何かもわからずにスタートをした記憶がある。ただ今も昔も変わらず、「サッカーにはまじめに取り組みなさい」と言い続けてきた。今もその“まじめ”の奥深さを追及しているとともに、どうしたら吸収率の高い選手を育てられるかという永遠のテーマに挑んでいる。

その後、恩師が運営していた名古屋GJというチーム(後に名古屋フットボールクラブの母体となる)の小学5年生(後の名古屋フットボールクラブ・ジュニアユース1期生の中心)を担当させてもらうようになった。
いろいろな意味で個性あふれた選手が多く、その選手たちが6年生の時に愛知県代表で読売の全国大会に出場したのが、指導者へのめりこむきっかけになったように思う。

読売の全国大会に出場した中心選手3名が名古屋グランパスのジュニアユースに入団したが、それ以外の選手に関しては、当時キャプテンであった選手の親御さんが中心となり、独自のジュニアユースチーム創設の流れになっていった。その流れの中、監督を引き受けることになって名古屋フットボールクラブの創設となった。
運が良いことに、個性あふれる選手が多かったことや、全国の舞台で悔しい思いをした選手がほとんどということもあり、上を目指すにはもってこいのスタートとなったように記憶している。

この年代はJリーグができ、小学生達がJリーガーを夢見てサッカーを始めた選手ばかりである。しかしながら、この夢をみさせつつ、夢を成就させるには相当に厳しい現実を理解させ、努力させ続けることなど、先に書いたことをしっかり身につけた上で次のカテゴリー、すなわち高校へ送る責任を感じつつスタートさせた。

名古屋フットボールクラブを本格的にスタートしてからは、とにかく強豪チームに頭を下げて武者修行を続けた。3年後には高円宮杯の愛知県大会で優勝し、その後愛知県チャンピオンを3年連続(1期生から3期生)獲得することになる。

1期生が高円宮杯東海大会も勝ち抜き全国大会3位、優勝・清水エスパルス、準優勝・読売ヴェルディ、3位・ジュビロ磐田と名古屋フットボールクラブという成績を収め、“街クラブの頂点”に立った時が、“街のクラブチーム”から脱却し“全国区のクラブチーム”を目指すという方向性が見えた瞬間である。

 “全国区のクラブチーム”となるためには何が重要かを考えた時、ベースとならなければならないのは、やはり“まじめさ”であると感じた。

チームカラーとして“あいさつ”“身だしなみ”を厳しく指導、また、今でこそ当たり前だが、移動用のジャージ・シューズ・バッグを揃えて(あえて費用をかけて)“規律”を重んじてチームの大切さを強調、さらには私生活・学校生活・勉学についてもかなり厳しく指導をした。

当時は、若い指導者がJリーグクラブの下部組織を指導していることが多い中、オンザピッチだけでなくオフザピッチにおいて、それなりの存在感を示すことができていたことが、後々の全国の高校サッカー界とのパイプ作りに繋がっていったと実感している。

小崎 峰利

2015年10月9日金曜日

中学年代はあせることなく、次の高校年代へつなげることが使命

高校年代での活躍に向けて、目に見える技術のレベルアップはどのチームでもやろうと思えばやれる。しかしながら、私が重要視していることは、サッカーに対する“取り組み方”“考え方”“対応力”の3点である。

これらについては、経験上ご家庭では行き届かない可能性が高い。

サッカーに対する想いは皆同じであっても、個々の性格や生活環境などが違うなか、取り組み方や我慢の程度はそれぞれ違う。
近代では“ほめることが重要”とよく言われるが、果たしてほめることだけで良いだろうか?我慢の程度や言われることへのアレルギーはそれぞれ違う。

親から言われるうっとうしさ。好感を持てない先生から言われることへの拒絶反応。それらをすべて飲み込ませること、また、飲み込む前にしっかり咀嚼(噛む)させること。
これらを根気よく言い聞かせることで、コツコツやることの重要さを学ばせることが大切。

難しいことや大変なことに黙々と取り組む選手は必ずいる。

「発育段階でのスナック菓子やカップラーメンは身体に良くない」と言えば大学まで食べない選手。

「最近のサッカーシューズは高価なので、せめてお年玉をためて買いなさい、できるなら新聞配達を走りながらして買ってみなさい」と言ったら、本当に新聞配達を始めた選手もいた。

「風呂を出て必ず股関節のストレッチをすれば、身体は6ヶ月で柔らかくなる」と言ったら、みるみるうちに柔らかくなった選手もいた。

指導者は、時にできそうにもない理想を選手に突きつけるのだが、私が預かる年代は得てして純粋無垢な選手が多いので、果敢にチャレンジする選手も少なからず存在する。
一人でもチャレンジする選手がいれば、いい加減なことは言えない。こちらも真剣に向き合う。場合によっては、親御さんと連携を取り、子供へのアプローチの仕方までアドバイスをさせてもらい、また、私もあらゆる角度から選手にアプローチし、様々な演出も行いながら潜在能力を目一杯引き出すことを目指している。

高校の監督も必ず性格やチーム作りの考え方が違う。
叱り方や檄の飛ばし方も違う。理不尽なことも多々あるのが現実である。

全国の高校について、私が知っている実態を具体的に話すことにより、選手は高校へ進学してから「なるほど、これが小崎監督の言っていたことか」と納得しやすくなり、ストレスを感じることが少なくなるはずである。

選手とは高校へ進学した後もコミュニケーションを取り続けるようにしている。特に県外の高校へ送り出した選手には定期報告をさせている。アドバイスもできるし、選手も名古屋フットボールクラブの存在を常に意識してくれる。

サッカーに対する“取り組み方”“考え方”“対応力”においてのベースがあってこそ、どんなレベル(サッカーの)の高校に行っても迷うことなくやっていける大きなアドバンテージかと考える。

次の年代へつなげるために「頭の中」を改善させていくことが最も重要である。

小崎 峰利

2015年9月30日水曜日

名古屋フットボールクラブの原点 ~ネルソン吉村氏のひと言~


ゴールデンエイジという言葉があるように、この年代で体が完成されている選手は一人もいない。ジュニア(小学年代)を4年ほど指導していたときに、現在もそういう傾向があるかと思うが、身体能力を優先させるサッカーが主流だったように覚えている。

そのジュニア選手達といっしょに17名でジュニアユース(中学年代)を立ち上げ、1年間は2学年上と戦い、翌年も1学年上と戦い、特に最初の頃はテクニックがパワーに消されるという歯がゆさがあり、それは今でも忘れない。
ボールを奪われない為にはどうしたら良いかという想いで、1年生だけの夏休みからとにかく基本にこだわった。我がチームにもご他聞に漏れず、身体能力の高い選手も少数ながらいたが、身体も小さく、スピードの無い選手もいた。
様々な能力の選手が混在する中で共通して身につけさせることが出来るのは、個人の基本技術であり、個人の基本戦術であると感じながら指導を続ける毎日であった。
ステップワークを含む足さばきとボールさばき、観ることなど視野の広さに加え、最も重点的に取り組んだことはキックの精度を上げることであった。

その年、忘れもしない出会いがあった。
今は無きネルソン吉村氏(日本リーグ時代のヤンマーディーゼルで釜本邦茂氏らとともに黄金期を支えたブラジル人帰化第1号の選手)と懇意になり、サッカーについて話をする機会を得た。ネルソン吉村氏から「Jリーグが始まって日本人は運ぶ技術はかなり上手くなったけど、蹴る技術は僕が日本に来た30年前とあまり変わっていないと思う。サッカーはキックの技術が一番大切なのに・・・」と言われ愕然とした。

それは、自分の指導方針が“感じながら”から“確信して”に変わった瞬間であり、今に至っても全くブレることはない。

それからというもの、明けても暮れてもインサイドキック、インステップキックを練習し、脚の角度、膝の角度、身体の向きなどキック精度を上げるためにかなりの時間を注ぎ、キックは格段に上達した。しかし、身体が小さく、スピードが遅い選手がインサイドキックで相手によく引っかかる場面を見て、アウトインステップを思いつき、徹底してアウトインステップを練習した。この効果はてきめんであり、インサイドキックは身体の向きで予測され易く引っかかることが多いが、アウトインステップでさばくことにより、引っかかる回数が極端に減ってきた。

ここが名古屋フットボールクラブの原点である。

その後すべてワン・ツー・スリーのリズムをワン・ツーに短縮するパスワークを徹底したことにより、ヘッドダウンが減り、視野の広さにつながり、ボールを奪われる回数が減ってきた。ボールがつながれば、判断の早さも要求され、必然的に状況判断せざるを得ない回数が増えるため、経験値が上がっていく。

ところが、それでも勝てるという保証が無いのがサッカー。勝てるかどうかはわからない。ただ、このベースにいくつものスパイスを混ぜれば勝てる確立はかなり高くなるというノウハウはある。これは内緒だが・・・

小崎 峰利