2022年11月10日木曜日

妥協と我慢

妥協という言葉は使いたくないが、現代の若者は厳しくされることにアレルギー反応を起こすものが少なくない。

しかしながら、厳しい事を言ったり、ある意味やらせる事は最低限必要である。
全ての事柄、例えば社会生活において挨拶の必要性を説き実行させる。
また、サッカーにおいてのインテンシティを上げる必要性を説き実行させる。

厳しく言ったり、やらせなければ、それぞれの実行の基準が違う為、成長の度合いに差が出てくる。

極端に言えば、やらないものはやらない。やりたくないのだ。
やりたいものだけチョイスして、やれるものだけに厳しさを求めてやり続ける事が育成にはよくないと考える。

よって言葉は悪いが、俗に言うノンビリな性格や競争が苦手な選手には、ある程度の妥協をしながら、また、我慢をしながら辛抱強く厳しさを説いていかなければならないと思う。
これからの指導者や教育者は本当に大変な時代を迎えることになりそうである。
小崎 峰利

2022年10月21日金曜日

人生

長いことサッカーという難しい競技の指導者をやってきた。

自分がプレーヤーとしてやり切り、息子達がサッカーに目覚め、その頃から指導者もどきで指導を始めた。プロになりたいという夢を大きく持ち始めた小学生への指導からスタート夢と現実のギャップに少しずつ疑問を感じ始めるかなり難しい中学生の指導に心血を注いできた。

またここ10年は、社会への旅立ちを目前に控えた大切な時期を過ごす大学生という本当に難しい年代を預かり、指導者として集大成に差し掛かってきたと感じる。

自分の人生もありがたいことに紆余曲折を経ながら、またある意味苦しい状況と戦いながらここまで来た。

最近よく考える人生がある。
それはサッカーをプレーヤーとして小さい時からやってきて、大学生になり、さあこれから社会人だという時に何か明るい未来を考えたり、目指したりする学生が少ないことにある種の危機感を覚える。
最低限、社会に出てから困ることのない作法や考え方、向かい方を説いて来てはいるが、”何かをやる”という希望を持った学生の少ないこと・・・。

その中でも、「僕はコーヒーが好きなのでコーヒーを栽培したり、売ったりなどコーヒーに関わる仕事をしたい」とビジョンを持っている今年の大学卒業生が、インターシップで作ってきたと自作のコーヒーを贈ってくれた。

家内と一緒に飲んだ。
とにかく美味かった。口に合うとか、香りが良いとかとは全く違う美味さを感じた。
何となく嬉しくなった。

この選手は4年間真面目にサッカーに取り組み、私の言う社会に出て困ることなのない考え方などの社会性はしっかり身に付けて卒業をする。
その後は分からないが、コーヒーという自分の好きなことに向かって行けることに嬉しいと感じているはず。

彼の人生からサッカーはひとまず傍に行くことになると思うが、サッカーのプロになれなくても社会人としてプロになっていくんだと何故か人生を考えさせられた。
また美味いコーヒーを送ってきて欲しい。
小崎 峰利

2022年10月4日火曜日

チーム体質

上手い選手が多いね!
パスやドリブルを駆使してボール支配率も高いね!
というようなチームは結構ある。

しかしながら、90分間戦いが継続出来ない。

失敗をすると下を向いたりちょっとしたフリーズがあって切り替えが遅くなり、プレーに粘りが無くなる。
また、守備にこの粘り強さが無く、淡白になってしまうとあっという間に失点をしてしまう。上手さと粘り強さが融合して、それを継続出来るチームが勝負には強くなるはず。
これは個人では形成できない。

我々指導者(監督)はこのようなチーム体質を作り上げるのに苦労する。
この体質はグランド内だけで形成することは難しい。
日々の生活の中から意識してやらなければ、勝負に強い体質は作ることは不可能である。
当たり前のように、サッカーの強さにこのようなチーム体質は大切なのである。

私自身の体質改善も難しいし苦労している。
チームの体質形成も難しいものである。
小崎 峰利

2022年9月20日火曜日

ストレス

最近、様々な年代の様々な指導者のコーチングの言葉や声のトーンや声の質、はたまたコーチングのタイミングなどを聞いていると、選手たちがストレス無くしっかりと頭の中に入れ込める状態か否かを考える。
そうすると、指導者の口調やタイミングでストレスをきえているんじゃ無いかと思えるシーンに見えてくる事もある。

昔は、怒鳴ることも当たり前の時代があったのも事実。
しかしながら、長年教えられる選手目線で見る事が多くなってきた現在は、指導者と選手の教える教えられるの関係を色々な角度から眺めると、教える側の指摘と熱量が教えられる側からみると、ストレスを感じてしまって中身がスカスカの状態の選手も散見される。

この様な状況が続けば、指導者、選手共にストレスを抱えることになる。
いくら言っている事が大切かつチームや個人にとって重要な事でも、受け取る側にストレスがかかって選手が吸収できなければ、優秀な中身の指導でも優秀かつ信頼される指導者にはなれない。

指導者は、コーチングの中身と選手がストレス無く聞く事ができる口調やトーン、それと語彙力を高めなければならない。
絶対にヒステリックにコーチングしてはならない。

今一度、自分のコーチングを客観的に見直してみることも必要である
小崎 峰利

2022年9月1日木曜日

優しい性格

「あの子は優しいからね、戦えないんだよなあ。」とか、

周りの選手からやコーチから厳しく言われると、萎縮をしてしまう選手の多い事。

スキルが高くても性格からくるものなのか、大胆なチャレンジが出来ない選手が数多くいる。

しかし、沢山の選手を見ていると、このような選手は何となく物足りないが、親からすると本当に手の掛からない、また人に優しく思いやりのある子が多いのも事実である。

指導者としては本当に物足りなくはあるが、親目線で考えたり、将来像を見てみると、人として良い感じの大人になっていくだろうなと勝手に想像している自分もいる。

あるJリーガーで今はオジサンになっている選手と話をした事がある。
「タッチラインを跨いでオンザピッチになった瞬間に闘う鬼になるんですよ!小崎さん。」
「タッチラインを跨いでオフザピッチに出たら人を思いやれる人間になるんですよ。」と言っていたような記憶がある。

ある意味二重人格の様な感じではあるが、それ以来優しく物おじをしてしまう様な選手には、この話をよくしてきたものだ。

サッカーとは、人生とは、ある所では戦い(闘い)、ある所では優しく思いやりのある性格になれる事が望ましいと考える。
小崎 峰利

2022年7月27日水曜日

最近考える指導者の指導

指導者という職業は、生産性の高低がよくよく分からない職業である。

勝利という生産性(このような表現は違うかもしれないが)を高めるために、指導者をやっているわけでは無いが、プロフェッショナルコーチはこの限りではないかもしれない。

私の指導対象は、育成年代である。
もちろん、勝利に対するメンタリティーも必要。
ただ、プライオリティについては難しい。

私も随分昔は、勝利に執着した時代もあった。
最近は、若い指導者の養成にも力を入れなくてはいけないと感じ始めて、指導者の指導もやり始めている。

これまたサッカーを教えるよりも難しい。
サッカーが好き、子供が好き、指導者になりたいなどなど動機は素晴らしくても、やらなくてはいけない事は多々ある。

トレーニングメニューの作成、スケジュール調整、マネージメント能力も問われる。
最初からそこそこできる人、全くもってチグハグな人、何度も同じことを言わなくてはいけない人。色々な人がいる。

私たち指導者は、人を伸ばす事が目的。
仲間を伸ばす(指導者仲間)事も勉強である。

私たちの仕事は難しい。
指導者として報酬を得ているのなら、何を根拠に報酬額が決められるのであろうか?
サッカーを教える事以外も含めてできるから、報酬額が高くなるわけではない。
はっきりとした生産性が図れない無形の仕事に対する報酬でもある。

高い低いは、一般企業と同じくトップが決める。
選手と信頼関係が築けるか?
失敗しても学ぼうともがく事ができるか?
パッションがあるか?
コツコツやる事ができるか?
私は、このような無形の事に重きを置いてきている。

素晴らしいトレーニングメニューが考えられるとか、選手を画一的に従わせる事が出来ることとかは関係ない。

とにかく人と人、ここが大事。
もっともっと謙虚に選手と向き合おう。
もっともっと若い指導者に指導の原点を教えたい。
小崎 峰利

2022年7月11日月曜日

教わる楽しさ

どれだけの子供が、教えてもらう事の楽しさを理解しているだろうか?

教えてもらう事、それは昔も今も決して変わる事のない図式である。

学校教育においても、教師が授業をして、子供達が授業を受ける。
このシチュエーションにおいて、子供達が「なるほど!」と思い、嬉しいとか楽しいとかいう感覚をどれだけ持っているだろうか?

また、教師や我々指導者は、選手や子供にどれだけ納得の上楽しまさせる事ができるか。

子供達が教わる楽しさを感じる事ができれば、自ずと上達は見えてくるし、勝利にも近づくと考える。
そのためには我々指導者は、すべての事柄にあらゆる角度からアプローチできる「技」を身につける必要がある。

皆さん、まず子供達に「教わる楽しさ」感じさせてあげられるように努力しましょう。
小崎 峰利